よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第四章 激  突

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

 和三郎の狙いはふたつあった。
 菊川町の下屋敷の寝床には、今夜、直俊君の姿は見られないこと。直俊君の行き先は和三郎だけしか知らない。それは間諜(かんちょう)の眼(め)をくらませることにも役立てる。
 直俊君を今夜移動させることにしたのは、ぎりぎりの刻限を設定したからである。
 まず、和三郎の方にも直俊君を預かるだけの部屋の準備に二日は必要だった。すでに道場として改築の折に手を入れていたとはいえ、さらに防御体制が必要だった。
 それに直俊君を狙う側も、たとえ間諜からの連絡があったとしても、すぐには動くことのできない事情があったからである。まず、直俊君を拉致するにしろ、殺すにしろ、それだけの刺客を整え直すのは、浪人たちの間では評判の落ちていた土屋家ではむつかしいと読んでいたのである。
 それには浪人九十九長太夫からの連絡が役に立っている。九十九のところに、助太刀(すけだち)の依頼が舞い込んだのだ。
 今夜、ようやく準備の整った番頭(ばんがしら)の中越呉一郎の配下の者は、菊川町の下屋敷を襲うだろうが、そこに直俊君はおらず、さらに警護に当たっていたはずの数名の家来も消えているはずである。いるのは年取った国分正興老人ただひとりのはずである。
 今はこちらの動静を、誰が陰謀組に知らせたかを詮議しているときではない、と和三郎は思っている。
 むしろ、間諜を利用して、その裏をかく形でこちら側は動いているのである。
 和三郎と直俊君の乗った馬は竪川(たてかわ)に出ると、大川に向かった。すでに夜になっているので馬は走らせられない。辻番(つじばん)では丁寧に対応して通り過ぎた。
 大川にかかる新大橋を渡ると、川堤を南西に行き、土屋家中屋敷の近くまで行くと、また小橋を渡り、八丁堀に続く堀沿いを走った。
 炭町の中村一心斎道場に落ち着くと、まず、馬をそこで待っていた広島藩の吉井に預けた。馬はもう一頭が待っている舩松町の家に行く。
 板敷の道場はここに移るときに、随分補強した。道場は十二畳ほどの広さだが、門弟が二十名集まっても充分に稽古できる。不思議なことに、看板を掲げただけなのに入門者が少しずつ増えてくる。零だった門弟は今では三十人を超えている。
 一階の元は土間になっていたところは、床板に畳が敷かれ、十名が床を取ることができる。奥には和三郎の部屋と師の中村一心斎がいつ戻ってきてもいいように、床の間つきの居間兼寝所が用意してある。おもんの部屋は女中部屋として台所の脇に四畳半が据え付けられている。隣にうね用に下女部屋がある。
 今回新しく増設したのは、二階の部屋に直俊君が寝起きできるふた間と客用の四部屋である。広島藩の倉前秀之進や逸見弥平次が、用心棒を兼ねて客間を使うことを想定した上で直した。菊川町の下屋敷にいる侍どもとは比べものにならないこころ強い味方である。
 道場の隣の家があと五日で空くことになっている。普通のしもた屋だが、さらに人数が増えることも考慮して、和三郎は借りることに決めていた。大家との交渉はすぐにできた。空き家になった原因が江戸を逃げ出していく一家なので、大家は心細さを感じていたようだ。逃げ出す理由は黒船からの大砲を恐れてのことである。
「ここでお休み下さい」
 和三郎は二階の部屋に直俊君を案内すると、まず、寝床を整えた。
「苦労をかけるな」
 直俊君はそういって赤らんだ頰を遠くに向けた。窓からはどこまでも続く江戸の屋根が見える。
「いえ。どうぞ、お休み下さい。申し上げましたように、敵側は偵察の者を雇っております。いずれここも突き止めることでしょう。でもご心配には及びません。階下には広島藩の強者(つわもの)十名ほどが寝起きしております。私も直俊君を命がけでお護(まも)り致します」
「岡からその言葉を聞くとこころ強い。岡だけが頼りじゃ」
「お任せ下さい」
 秘密が漏れることを承知の上で、和三郎は直俊君に屋敷替えを提案したのである。
 それは三日前のことだったが、敵側が拉致を実行に移すのは今夜だろうと和三郎は計算していた。陰謀組は、下屋敷にいる直俊君は影武者に過ぎないと知りながら、どうしても直俊君を捕らえる必要があるのだろう。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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