よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第四章 激  突

高橋三千綱Michitsuna Takahashi



 菊川町の下屋敷は暗く静まり返っていた。周囲には人の気配が全くない。だが、そう思ったのは和三郎の見間違いだった。門が見えるところまで行く前に、一太郎が低く唸(うな)った。
 だが、門の陰から細い一筋の人影が現れると、一太郎の唸り声がやんだ。一太郎は駆け出すと、人影に飛びついた。
「ほう、儂(わし)が誰だか分かったのか。感心な犬じゃ。一体この犬をどこで拾ったのだ」
 そういって暗がりから現れたのは九十九長太夫である。和三郎と水ノ助は一様に安堵(あんど)のため息をついた。
「来てくれたのか。おぬしが付いてくれれば百人力だ」
「なんの。金の匂いにつられたまでじゃ。今度は十両でもよい」
「十五両は出せる。だが、うまくいけば、九十九殿の力を借りなくてもすむかもしれん」
「何か考えがあるようだな」
「孫氏の兵法その一。戦わずして、勝つ。その十、戦費は敵から堂々と奪え、だ。ま、そのための仕込みをまずしなくてはならんのや」
 和三郎は脇門を叩いた。なんじゃ、と偉そうな声がするまで、少し間があった。口入れ屋から派遣された門番はどうも酒が過ぎると和三郎は思った。
「岡和三郎だ。今夜ここを襲ってくる者があるので、知らせに来た」
「なんじゃと」
 泡食った様子で門番が戸を開いた。
「誰が襲ってくるというのじゃ、この冷や飯食いが」
「ほう、うらが冷や飯食いだとよく知っておるな」
「あたり前じゃ。みないうとる。あんな田舎者(いなかもの)の部屋住みごときに、いいようにこき使われてたまるかとな」
 門番は歪(ゆが)んだ顎をさらに傾けて笑った。
「おぬし飲んどるな」
「だからどうしたというのじゃ、この冷や飯食いが」
「門番は夜通し番をするものじゃ。飲んでいてはいかんなあ」
「貴様の知ったことか。文句があるか」
「ある」
 和三郎は門番の腹を刀の柄尻(つかじり)で突いた。腹の肉深くに柄尻が食い込んだ。門番は声も出さずに膝を折って沈んだ。口から泡を吹いている。
「おい、こいつは味方だろ。無茶をしおるな」
 九十九はさすがに驚いている。
「なに、銀十匁(もんめ)で敵側につくやつだ。丁度、折檻(せっかん)しなくてはならんと思うておったところじゃ」
 和三郎は門番を伸びたままにして奥に行く。
「門を閉めなくてよいのか。敵が襲撃してくるのではないのか」
 九十九は開いたままの門を振り返って不審な顔をした。
「いいんじゃ。それも作戦のひとつだ」
「ほう。開門作戦か。しかしひとつ間違えれば、こちらは逃げることもできんぞ」
 和三郎は四十がらみの九十九の肩を叩いた。
「九十九氏。おぬしはいいやつじゃ。負け戦さだと知りながら味方についてくれたのじゃからな。だが、たったこれだけの人数で、何十人もの賊を相手にできると思うか」
「そんなにいるのか。おぬし殺しの一両が目当てのセコイ連中じゃ。来るのはせいぜい四、五名のはずだぞ」
「それはすぐに分かる」
 和三郎は侍長屋の戸口を叩きながら、襲撃だ、と叫んだ。中でどたどたという音がする。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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