よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第四章 激  突

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

 侍長屋といっても住んでいるのは小野田と平田だけだ。あとの者は扶持米(ふちまい)が滞り気味の土屋家に見切りをつけて、辞めてしまったのだろう。それは正しい選択だったといえる。土屋家に明るい兆しが訪れる気配は皆無だ。残っているのは阿呆(あほう)か逆臣の能無し侍だけだ。
 阿呆の象徴のような和三郎は、小走りで屋敷の玄関に行き、沼澤庄二郎の名を呼んだ。
 沼澤はすぐに現れた。
「お、岡殿。直俊君をどこにお連れしたのだ。若君は無事なのか」
 剣吞(けんのん)な顔で敷居に佇(たたず)むと、怒鳴るように叫んだ。一応まともな武家のようだが、沼澤も思考能力が低下した阿呆の口だ。
 廊下には沙那、お蓮、お富、亀と順番に部屋から出てきた。その順番を和三郎はそれとなく覚えた。
「岡様。襲撃といわれましたか」
「しかし、直俊君は岡さんが堀家にお連れしたのではないですか」
 背後でそういう声がする。息急(いきせ)き切って駆けつけてきた小野田と平田が、興奮した様子で佇んでいる。
「直俊君はたった今、拉致された」
 和三郎は悪びれずにいった。その堂々とした態度に沼澤の顔が青ざめた。
「拉致じゃと! ど、どういうことだ。おぬしが警護していたのではないのか」
 沼澤が怒鳴った。
「はい、私が警護しておりました。直俊君は堀家の下屋敷に先ほどまでおられた。だが、向こうにも事情が出来たようでな、今夜はひとまずお引き取り願いたいと申し出てきた。仕方なくこちらにお連れしたのだが、待ち伏せしていた賊にあっという間に押し込められまして、直俊君は拉致されてしまった。申し訳ない」
 和三郎は頭を下げた。女どもは口を開けたまま凍りついている。
「申し訳ないですむか! ひとごとみたいに申すな。誰にじゃ。一体誰に拉致されたというのじゃ」
「それがですな」
 といって、和三郎は片側の頰をさすった。
「痛いな。賊のひとりにここを叩(はた)かれてしまいまして、痛いのよ」
「誰じゃー、誰にさらわれたというのじゃ。えーい、おのれの頰っぺたなんかどうでもいい。いつまで撫(な)でておるのじゃ!」
 和三郎は姿勢を正した。
「蠣殻町の屋敷の連中です」
「蠣殻町? 土屋家の中屋敷ではないか」
「そうです」
「その連中が直俊君をさらったと申すのか」
「見知った顔が四、五名おりました。国許(くにもと)におったはずの連中も拉致犯の中におりました。これは一体どういうことですか」
 和三郎は生真面目(きまじめ)な表情で沼澤を見上げた。
 勿論(もちろん)、中屋敷にいる土屋家の家臣が直俊君を拉致したというのは、和三郎の噓(うそ)である。
(上屋敷の侍どもと中屋敷の侍どもを争わせる)
 というのが和三郎の作戦である。自分たちだけで、これから襲撃をかけてくる忠国側の逆臣どもと戦うつもりはなかった。互いに戦わせて、あとは様子を見る。
 和三郎の作戦はそれだけである。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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