よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第四章 激  突

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

「次郎吉は直俊君の寝所に忍び込んだのか」
「ああ、天井の羽目板の隙間から覗き見していたんだ。立派な医者が入れ代わり立ち代わりしていた。髭(ひげ)を生やした医師は、そばに付いていたお武家さんに、肺が潰れておるといっていましたよ。別の蘭方医(らんぽうい)は、もう、手を尽くしたとあきらめていた様子でした。今夜が峠だともいっていた。それが昨晩のことです」
(なんということだ)
 和三郎は絶叫したい気分をなんとか抑えた。
(直俊君が亡くなってしまっては、全てが謀反組の思い通りになってしまうではないか)
 そこで、
(風雲、急を告げる)と和三郎は胸の中で叫んだのである。だが、実際には何をすればよいのか分からない。
 こういうときに、酒飲みは腰を据えて、これからのことをじっくり考えるのだろうと思った。
 和三郎は剣術修行の身として、酒を飲むのを控えていた。実際に飲んだことがないので、自分が飲めるたちなのか、下戸なのかも分からない。
 今こそ、それを試すときではないのか、と邪(よこしま)な考えが頭を掠めた。
(耐えろ、ここが頑張りどころじゃ)
 和三郎はうんうんと呻いていた。
「旦那、岡の旦那」
「なんじゃ」
「大丈夫ですかい。顔が蛸(たこ)のように真っ赤に膨らんでいますよ」
「大丈夫ではない」
「はあ、そうですか」
「誰でもいいから、斬り殺したい気分じゃ」
 わっと悲鳴をあげて、次郎吉は部屋の隅まで踵(かかと)を蹴って飛び退(の)いた。やめてくれ、と懇願している。その気持ちがどうやら本当らしいのは、指先がぶるぶる震えているので分かる。
「殺しはしない。では、おまえは何で昨夜のうちに知らせてこなかったのだ」
「知らせたって旦那が何かできるわけじゃねーでしょ。医者じゃないんだから」
 その妙に冷静な物言いに和三郎は、なるほどと頷いていた。
「それでもう少し探ってやろうと思いましてね、堀家の別の部屋に行って聞き耳を立てて一晩過ごしたんですよ」
「それで何か分かったか」
 次郎吉は首を傾げた。
「へえ、それがですね、なんかヘンなんすよ」
「出し惜しみをするな。何がヘンなのだ。さっさといえ」
「へえ、そこは堀のお殿様の書院でしてね。そこに集まっていた殿様と二人の武士が、これで土屋家はもう終わりだ、といっていやしてね、じっと聞き耳をたてていると、国松は赤ん坊のままだし、その親父(おやじ)は狂ったあげくに自刃したことになるだろう、とこういうんでさ。なんか恐ろしいことが起こっているなとあっしでも分かりますから、すぐに屋敷を出ようとしたんですが、生憎(あいにく)中間に見つかりましてね。一昨日話した元隠密だったというやつです」
「うん……」
「出来損ないといってもさすが元隠密でね。あっしは逃げるのに一生懸命でして、今朝まで厠(かわや)の後ろで隠れていたんです。そのあと銭湯に行きやして一眠りしていたんです。そういやあ、書院にいた堀の殿様というのは、なんか顔つきが旦那そっくりでしたよ。どうです、五両じゃ安いくらいの仕事をしやしたぜ」
 和三郎は次郎吉の話など聞いていなかった。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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