よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第四章 激  突

高橋三千綱Michitsuna Takahashi



 留守居役の白井貞清の役宅は、上屋敷の中に建てられていた。江戸屋敷の責任者といっても、白井家老の家禄(かろく)はわずか四百石である。他の大藩の家老のように上屋敷の外に別宅を構える余裕はない。
 次郎吉の先導で上屋敷に入ると、まっすぐに白井の役宅を探し当てて和三郎は裏庭から中に入った。屋敷には何人か侍がいるはずだが、屋敷内は恐ろしく静まり返っている。火を灯している部屋がふたつあったが、中からは咳ひとつ聞こえてこない。
 次郎吉のいう通り、金蔵に千両箱のない江戸屋敷に盗人の影はなく、侵入するのはわけがなかった。門番まで眠りこけているので、和三郎は自分が家来であることが情けなくなった。
 フクロウが鳴いた。晩秋から初冬のフクロウがどんな鳴き声を出すのか知らないが、庭先に身を潜めている次郎吉が出す鳴き声は、凍えているようでもあった。
 白井家に入り、真っ暗な部屋の隅に座ったまま、和三郎は白井が戻るのを待った。
 最初に入ってきたのは火を灯しにきた小姓である。蠟燭(ろうそく)に火がつくと書見台に置かれた本が明るくなった。小姓は和三郎の存在に全く気づかずに出て行った。
 しばらくして廊下を歩く足音が和三郎の耳に入ってきた。歩調はゆっくりだったが、体の揺れは少しもなかった。
(留守居役は惚けてはおらん)
 とっさにそう悟った。
 白井は自ら障子を開けて部屋に入った。それから書見台の前に座ろうとして、ふと部屋の奥を透かし見た。
「わっ」
 白井は腰を落とした。半分白い鬢(びん)が一気に白くなったようだった。驚愕(きょうがく)の表情が年老いた猿に似ている。それもマント狒々(ひひ)と呼ばれる外国から持ち込まれた猿だ。
「なんじゃ、おまえは。刺客か」
「岡和三郎と申します。白井様のご返答によっては刺客にもなり申す」
「人を呼ぶぞ」
「その前に白井様をぶっ殺します」
 白井は押し黙った。
「分かった。岡和三郎だったな。あの岡か。ホンモノか」
「白井殿は岡和三郎のことを、どのようにお聞きでございますか。誰かの替え玉になっているとお聞きですか」
「聞きたいか」
「是非に」
 そのとき廊下に静かな足音がして、外から訪(おとな)いを入れる女の声が聞こえた。追い返すと思われた白井は意外にも、入れ、といった。女中がお茶を持って入ってきた。茶を白井の前に置いて振り返ったとき、そこに黒い影を見て、小さな悲鳴をあげた。
「あわてるな、客人じゃ。客人に茶を持て」
「菓子も戴きます」
「それから菓子も持て」
 女中はそそくさと部屋を出た。和三郎は家老と呼ばれる人の貫禄を見た気がして気を吞(の)まれた。勘定奉行やその他の奉行と呼ばれて空威張りしている者たちとは、性格の良し悪(あ)しは別として、代々家老職につく者の肝の太さを感じた。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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