よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第四章 激  突

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

「儂が聞き及んでおるのは、岡和三郎は堀唯之介殿の身代わりだということじゃ」
 和三郎はそこで黙った。兄の身代わりだったのか、と思っていた。江戸に来るまでの東海道で襲ってきた刺客は、兄、堀唯之介としてうらの命を奪おうとしていたのか。
(でも、なぜじゃ。なぜ、堀家の人となった兄が狙われるのだ)
「知らんのか。堀唯之介じゃ。そなたの腹違いの兄者であろう」
 和三郎が黙っているので、白井はしびれをきらしたように口元を歪めていった。
「存じております。私を兄の替え玉にするとは、どなたのご命令ですか」
「お上じゃ。それ以外におるわけがない」
「しかし、お上が私のことなど知るわけがありません」
「知っておったさ。正月に行われた御前試合での働きぶりは見事だといっておられた。そのときから、いずれ堀唯之介の身代わりになるのはこの者しかいない、と思っておられたのだ」
 白井の皺だらけの口元が広がった。微笑を漏らしたのである。
「でも、なぜそんな早くから、兄に身代わりが必要になるとお上はお思いだったのですか。いや白井殿はそれを、お上からいつお聞きになったのですか」
「三月じゃ。忠直様から親書を受け取り、雪解けを待って野山領に戻ったのじゃ。わずか二日間しかおられなかったがな」
「もうひとつの疑問の方もお答え下さい。なぜ、お上は堀唯之介に身代わりが必要になるとお考えだったのですか。兄は、最早(もはや)、土屋家とは何の関係もございません」
 落ち着いて話を聞こうとした和三郎だったが、気が急いたため早口になった。
 白井は視線を廊下に向けた。
 そこへ女中が茶と茶菓子を運んで部屋に静かに入ってきた。和三郎の前で丁寧に頭を下げ、家老に会釈をしてから何事もない様子で下がった。
「まず菓子を食え。それからもちっと寄れ」
 そう白井から命じられて和三郎は栗饅頭(くりまんじゅう)を一口で食った。白井もそのとき初めて茶を飲んだ。和三郎は頰張った栗饅頭を急いで嚙みしめてから、茶を一口飲んで、家老の前に近づいた。二人の間にはわずか四尺(約一・二メートル)ほどの間しかない。
「お上は堀唯之介をいずれ直俊君の後見役にと考えておられた。三月には幕閣に、土屋家の嫡子としてようやく直俊君を届け出たばかりじゃった。あとは将軍様との謁見を済ませれば、晴れて世嗣となられる。じゃがな、お上にはみっつ大きな不安があった」
「みっつも、でございますか」
「そうじゃ、これはどれも一朝一夕には解決できないことばかりであった」
 白井の灰色の目玉がすぐそばにある。和三郎は重大な密談をしている気になった。いや、事実、お上が抱えるみっつの難問そのものが、秘密にすべき事柄なのである。
 ゴクリと和三郎の喉仏が鳴った。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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