よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第四章 激  突

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

「国松君はどうなのです。まだ五歳ですが、土屋家存続のためには一時であろうと、世嗣として届け出るしかないではありませんか」
「それは絶対に不可能じゃ」
 絶対という言葉に力を込めて白井はいった。その一言を口にしただけでひどく憔悴(しようすい)したように見える。赤ん坊のままだ、と次郎吉が堀家で盗聴してきた言葉が耳に残って反響している。
「国松君は生まれついてのうつけじゃ。口がきけん。喋れるのはチチとケケだけじゃ。そんなものは言葉とはいえん。おひとりで歩くこともままならん。それで屋敷の奥深くに、母のおアキ様とお住まいになっておられる。江戸の屋敷から出たことはない。あの体たらくでは、お目見えなど到底無理じゃ。それでこの頃、忠国殿もようやく乗っ取りは無理だと気がつかれたようじゃ」
「そんなことが……では土屋家はお家廃絶となるのですか」
 国許にいる兄壮之助の顔、兄嫁松乃(まつの)の俯いた横顔、母静(しず)の細く衰えた表情が脳裏に浮かんだ。
(いままで散々土屋家を搔き回しておいて、息子がうつけだと悟ると、何もかも投げ出すというのか)
 家臣、その家族を含めた千数百人を遊び道具に使っていたというのか。和三郎の憤慨は収らなかった。
「でも何故、家臣が半分に分かれて死闘をしてまで、たかが替え玉の七歳児を力ずくで捕らえようとするのですか」
「そんなことも分からんのか。今申したであろう。影武者であろうと身代わりであろうと、直俊君が嫡子であることは幕閣がとうに認めておるのじゃ」
「だから何なのです」
 もう、あの子は解放してやればよいではないかと和三郎は思った。替え玉の少年が大名家の存亡を左右できるわけがなかった。
「お目見えさえすませてしまえば、身代わりも立派な世嗣じゃ」
 白井はそう断じた。和三郎はしぶとく食いついた。
「お目見えといわれますが、養子でもないあの子が、嫡子として認められるとお思いなのですか」
 白井は咳払いをした。それからひどく快活な声でいった。
「だから、幕閣には届け出をしないで、そのままとぼけてしまうのじゃ。替え玉が、今度は嫡子のすり替えに昇格するのじゃ」

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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