よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第四章 激  突

高橋三千綱Michitsuna Takahashi



「それでおぬしはどう答えたのじゃ」
「うらは土屋家には戻らず、このまま剣術を続けるといいました」
 和三郎は道場の奥の部屋で、師中村一心斎とふたりで向かい合っていた。
「兄上はなんと答えた」
「親父殿のようにか、といって笑っておりました。それからいつでも戻ってこいといっておりました。でも、忠直様が亡くなられた今、兄者が土屋家を継ぐということができるのでしょうか」
「末期養子じゃ。それなら可能じゃ。当主が急病で死んでからでも養子縁組は成り立つ」
 一心斎は無表情にそういうと、うねが用意した酒を飲んだ。そして目を窓の外に広がる冷ややかな空に向けた。
「そちの兄は最初からこうなることを予期していたのかもしれんな。多分、弟を自分の替え玉にしようと考えたのもおぬしの兄じゃろ。長い間、このときを待っていたのじゃろう」
「といわれますと」
「親父殿が六代目も七代目も名乗れずに、放逐された復讐(ふくしゅう)じゃ。頭も切れるが、辛抱もできる男のようじゃの」
 一心斎は酒を口に含むと、ニヤリと笑って盃を和三郎に差し出してきた。
「いや、私はこれはいけません」
「師弟の契りじゃと申してもイヤか」
 一心斎の白い歯が不気味である。和三郎は着物の上で拳を握りしめた。
「実はな儂は上総(かずさ)の木更津(きさらづ)に隠棲(いんせい)する。これから出立する」
 気楽な調子でそういった。和三郎は仰天した。
「こ、これからでございますか」
「それでな、この道場は弟子のおぬしに預ける」
 いっ、と口を開いたきり、和三郎は次の言葉を失っていた。
「なに、元々この道場はおぬしの父が儂のために用意してくれておったものなのじゃ。まだ見(まみ)えん内から中村道場と勝手に名をつけておった。実際に刃を交えたのはおぬしにいった通り、野山領の北山(きたやま)の館じゃ。今日、ここをおぬしに返す」
「し、しかし急にそういわれましても、私にはどうしてよいのか」
「弟子はもういる。広島藩のイキのいいのが十名ばかり入門してきた。少ししごいておいたから、儂がいなくなったと知れば安心するじゃろう」
「はあ」
 とまだ状況がつかめないでおろおろしていると、玄関から賑(にぎ)やかな声で喋る土佐弁が聞こえてきた。
「おお、ここにおったか。いやあ中村一心斎殿もご健在でござったか。昨夜は直俊君を狙(ねろ)うてここを襲うそこつ者があったとかで、鬼退治ご苦労様にござった。ちっくとは暇つぶしになったかのう」
 竜馬は直俊君と沙那を伴って戻ってきた。
 一心斎は竜馬の皮肉交じりの言葉に対しても、好々爺(こうこうや)のような表情でいる。
「なに、家の中を散々嗅ぎ回っておったが、ここには留守番の爺(じい)がひとりおるだけだと知ると、さっさと帰りおったよ。さて、儂も出かけるとするか」
 一心斎は傍(そば)に置いてあった風呂敷包を、ひょいと摑んで立ち上がった。そのまま部屋を出て道場に足を向けた。
「そうじゃ、言い忘れておったが、儂が持っていた箱根湯本の温泉宿じゃが、おぬしの名義に書き換えておいた。刀傷ができたらいつでも治しに行くがよい。今度は宿主じゃから頑固な番頭を顎で使えるぞ」
 一心斎はそういうとひょいひょいと道場を横切って玄関にいった。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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