よみもの・連載

和三郎江戸修行 激烈

第四章 激  突

高橋三千綱Michitsuna Takahashi

「それからな、おぬしのいぬ間に隣の居酒屋の主人がやってきてな、腰を悪くしたので隠居するといっておった。店を買ってくれというので、ここも買っておいた」
「買っておいたといわれますが、そんな突然に困ります。居酒屋など私にはできません」
「旅の一座の連中が隣で働くといっておった。女子(おなご)が三人も来おってな、女形(おやま)がここで一座を張れると喜んでおった」
 一心斎は草鞋を履き終わると、そこにいる和三郎、竜馬、沙那、直俊君、うねの五人を見回してにっこりと笑った。この人が妖怪といわれた剣聖だとは誰も思わないだろう。
「いったいいくらでお買いになったのですか」
「六十両ほしいというので出しておいた。なに、儂からおぬしへの置き土産(みやげ)じゃ。色々世話になった。これはおぬしの親父殿へのお礼も含まれておる」
 一心斎は背を向けて玄関をくぐっていく。あまりの呆気(あつけ)なさに和三郎は茫然自失となった。
「先生、ちょっとお待ち下さい」
 そういって裸足(はだし)で飛び出したが、一心斎の姿は今にも猪牙舟(ちょきぶね)に乗り込もうとしている。
「私の修行はどうなるのです。まだ、一度しかお手直しを頂いておりません」
「そのときは木更津に来ればよい。この国の行く末を眺めて日がな一日、のどかに暮らしておるはずじゃ」
「参ります。必ず参ります」
 和三郎は堤から叫んだ。本当は今にもついていきたい思いだった。竜馬らがようやく追いついてきた。
「行ってしもうたな」
 竜馬がそう呟いた。
「溜(た)め込んだ金が風呂敷包に全てあるとは思えんなあ。山賊を捕らえたときにたんまりもろうた礼金はどうするつもりじゃろかな」
 竜馬がそう呟いた。
「この国の未来のために使うのやろ」
 中村一心斎は背筋を伸ばして猪牙舟の真ん中に座っている。冬の光が正面からあたり、冬風が一心斎の背中を押している。その姿がどんどん遠ざかっていく。
(剣聖と呼ばれたお方が、誰にも知られることなく、この世から姿を消そうとなされている)
 和三郎の胸が急に熱くなった。
 涙が目に湧き出てきた。

プロフィール

高橋三千綱(たかはし・みちつな) 1948年1月大阪府生まれ。サンフランシスコ州立大学、早稲田大学中退。74年「退屈しのぎ」で第17回群像新人賞、78年「九月の空」で第79回芥川賞を受賞。青春小説や時代小説、またゴルフに関する著作も多数ある。著書に『お江戸の用心棒』『明日のブルドッグ』『空の剣 男谷精一郎の孤独』ほか多数。

既刊紹介

和三郎江戸修行 脱藩

和三郎江戸修行 脱藩 時は幕末。越前野山土屋家中はお家騒動の気配をはらんでいた。小身の家臣の三男坊・岡和三郎は、無駄飯食いの立場だったが、剣の腕には覚えがあった。ある日、藩重役から江戸での剣術修行を命じられる。しかも脱藩して密行せよ、と。大枚の路銀をせしめ、視覚に襲われるも旅立つのだった。修行人宿に泊まりつつ江戸を目指す東海道中、若き剣客を待ち受ける運命やいかに……。傑作時代小説シリーズ幕開き。

和三郎江戸修行 開眼

和三郎江戸修行 開眼 浜松城下で坂本竜馬と別れ、岡和三郎は幕末の東海道を一路、江戸に向かっていた。越前野山藩から命じられた脱藩密行での剣術修行。宇津谷峠の雨宿りで横井小楠と出くわし、酒を呑んではからみ半分のご高説をうかがいながらの道中となってします。若き剣客の心を時にはあたため、時には奮い立たせる出会いは、さらに彼を成長させていくのだった。傑作青春時代シリーズますます熱い第二弾。

和三郎江戸修行 愛憐

和三郎江戸修行 愛憐 四万三千石・土屋家の世嗣である直俊君を密かに護れ。それこそが和三郎に下された真の密命だった。それゆえに江戸でも敵に襲撃され、さらには父の因縁により格上の相手から果たし合いまで挑まれて、半死半生に追いやられてしまう。だが、許嫁の沙那や道中で出会った倉前秀之進、坂本竜馬など味方の存在が和三郎を生かし、剣を磨かせてゆく――。傑作青春時代シリーズ第三弾。

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