連載
浮世奉行と三悪人
雀丸登場の巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka



 依頼人が帰ったあと、加似江(かにえ)が言った。
「雀丸(すずめまる)、そこに座りなされ」
「さっきから座っております」
「揚げ足を取るでない。――おまえは今の世についてどう思う」
「どうって……どうも思いません。粗菜であっても三度の飯が食べられて、たまに酒が飲めて、のんびりと気楽に日々を過ごしていけさえすれば満足です。出世する気もないし、妻帯するつもりも当分はありませんし、悠々自適にゆるゆると……」
「じじむさいやつじゃ。たとえおまえがそのつもりでも、まわりがのんびりとはさせてくれまいて」
「どういうことです」
「さっきも申したとおり徳川の屋台骨が腐ってきておるのじゃ。どんなものでも二百五十年も経てば腐ってしまう」
「即身仏は腐りません」
「揚げ足を取るなと言うたであろう! 先年起きた大塩の乱では大坂城代や町奉行、つまり、旗本が鎮圧に当たったが、それはじつに島原の乱以降二百年ぶりのことじゃ。同じ年には越後で生田万(よろず)の乱が起き、また、メリケン国のモリソン号という船が浦賀や薩摩に現れて、お上や島津家がこれを砲撃した」
 異国の船はそのあともたびたびやってきた。なかには通商を要求するものもあった。イギリスのサマラン号、フランスのアルクメール号、アメリカのマンハッタン号……国内は、わが国の占領を企む異国船を打ち払い、日本の国威を示せ、と言うものと、このままでは諸外国に後れを取るから、すみやかに開国して西洋の進んだ文化を取り入れろ、と言う二派に分かれた。いずれにしても、異国に対する国策を早急に定めて一本化するとともに、西洋式の軍備を研究し、武器を揃え、演習を行って、海防を固める必要がある、という点では両派の考えは一致していた。江戸では何度も大火が起こり、江戸城も焼けた。長い年月、安穏と過ごしてきたこの国の住人は突然立て続けに起きる椿事(ちんじ)のつるべ打ちにうろたえていた。
「これからまだまだ大きな出来事が起こるにちがいない。おまえのように太平楽を決め込もうとしても、そうはいかぬだろうのう」
「いやあ、がんばりますよ、私は」
「なにをがんばるのじゃ」
「太平楽を決め込めるようがんばるのです」
 加似江は呆れたように茶をひとすすりした。

 夜、雀丸は夕飯の支度をした。タケノコの煮物、豆の煮物、蕗(ふき)の煮物、豆腐の味噌汁という献立だ。慣れているのでさっとできる。
「また煮物ばかりか」
 加似江は文句を垂れた。歳に似合わず、脂っこいものが好物なのだ。外に出たときは、豚鍋や鶏鍋などを食べてまわりを驚かす。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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