連載
浮世奉行と三悪人
雀丸登場の巻3 田中啓文 Hirofumi Tanaka



 本町のおけら屋という質屋はすぐに見つかった。名前の割りに大きな店構えで、店のまえで丁稚(でっち)が地面を掃いていた。なかに入ろうとしたとき、
「待ってーっ!」
 若い女の声がした。振り返ると、振袖に橙(だいだい)色の小袖を着た武家娘が右手をまえに差し出すようにして小走りに走ってくる。そのまえには子猫が一匹、ちょこまかと駆けている。
(ははあ……飼い猫が逃げたのかな……)
 それこそどうでもいいことである。今は大事な用件があるのだ。雀丸(すずめまる)はふたたび質屋のほうを向いたが、
「お願いです! その猫、捕まえてくださーい!」
 そう言われると、嫌とは言えない性分である。雀丸は、そこにいた丁稚の手から棕櫚(しゅろ)の箒(ほうき)を借りると、子猫のまえにぽーんと放った。猫はその箒を避けようとして、雀丸の手のなかに勝手に入ってきた。それをすくいあげると、子猫は、
「みゃー」
 と鳴いた。毛並みは白と黒のぶちである。武家娘は顔を輝かせて、
「あ、ありがとうございます!」
 ぺこりとお辞儀をした。
「さっきもらってきたばかりで、まだなついてないんです。捕まえてくださって助かりました」
「もう逃がさないようにしてくださいね」
 雀丸はそう言うと子猫を娘に手渡した。小柄で色白のその娘は、目が大きく、眉は細い。鼻と唇が小さく、化粧気はないが、走ってきたせいか、頬がほんのり桃色に染まっている。雀丸が内心、ぽやぽん、ぽやぽん……としたとき、ようやくお供らしい男が追いついた。
「お嬢さん、脚速すぎますわ。わし、走って走って……」
「大七、あなたが遅すぎるのです。この方がいらっしゃらなかったら……」
 娘はその男となにやら話していたが、
「あの……あの……もしよかったらお礼をさせてくださいませ。近くの茶店でお茶でもさしあげたいのですが……」
「いえいえ、それには及びません」
「ご遠慮なさらずに……」
「ちょっと急いでいるのです」
「それではこちらの気がすみませぬ」
「ちょっとというか……かなり急いでいるのです」
「そうですか、あまりこちらの気持ちを押しつけてもかえってご迷惑。しかたありません……」
「はい、ではこれにて……」
「あの……せめてお名前とお住まいを……」
「ははは。名乗るほどのものではありません。猫を捕まえただけですから……それでは失礼します!」



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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