連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「ふわあ……」
 おおきなあくびをすると、家に入った。土間はやたらと広く、茣蓙(ござ)のうえに大小さまざまな竹が並べてある。その横には、鉈(なた)や鋸(のこぎり)、鉋(かんな)、鑢(やすり)、錐(きり)、膠鍋(にかわなべ)、砥石(といし)……といった大工道具の類が乱雑に置かれている。竹は三方の壁にも、荒縄で縛られてたくさん立てかけてある。
「今日はもう上がりかや」
 奥から、しゃがれた太い声がした。柿色の頭巾をちょんと頭に載せた太った老婆が立っている。背が低いのでよけいに肥えて見えるのだ。きちんと羽織を着て、武家の隠居といった風情である。顔も身体なみに大きく、皺くちゃである。吊り上がった眉毛とぎょろりとした目、赤ら顔のせいで怒っているように思えるが、じつはいつもこういう顔なのだ。平家蟹(へいけがに)という蟹の甲羅には、鬼のような文様が浮き出ているが、それにそっくりなのである。名前が「加似江(かにえ)」なので、近所では「竹光屋の蟹のご隠居」などと陰で呼ばれているらしいが、もちろん面と向かって言うものはいない。
「今夜の菜はなんぞ」
 三度の飯だけが楽しみだという加似江が厳しい顔で言った。
「骨抜きドジョウの良いものが安かったので、ささがきゴボウを敷いて卵とじにしようと思っております」
「ほう、それはよいのう。酒が進みそうじゃ。腹が減っておる。さっそく拵(こしら)えてくれ」
「かしこまりました」
 雀丸は仕事着を脱ぐとさっぱりした浴衣(ゆかた)に着替え、たすきを掛けて、慣れた手つきで夕食を作った。土鍋にささがきゴボウを敷き、開いた骨抜きドジョウを並べると、出汁(だし)に醤油、酒、みりんなどで味付けをして煮込み、卵でとじる。いわゆる柳川(やながわ)鍋である。あとはネギとワカメの味噌汁と大根の漬け物を出せばよい。
「よい匂いがしてきたわい。山椒(さんしょう)はあるかや」
「はい。たっぷりと……」
 ぐつぐつと煮えた小さな土鍋を雀丸は土間につながる板の間に運び、加似江のまえに置いた。
「うほほほ……美味(うま)そうじゃ」
 加似江は相好を崩した。
 両親を亡くした雀丸は、祖母であるこの加似江とふたり暮らしである。生業(なりわい)は、暖簾にもあるとおり「竹光屋」だ。徳川の世が二百五十年も続くと、泰平に慣れた武士たちのなかには「武士の魂」である刀を売って金に換えるものも現れた。彼らが本身(ほんみ)の刀のかわりに求めたのが竹で拵えた竹光だが、できるだけ所持していた刀とそっくりのもののほうがバレにくい。天賦(てんぷ)の才というか、鋼(はがね)でできた刀と見紛(みまが)う出来映えの竹光を自在に作ることができた雀丸は、城勤めを辞め、武士を捨て、「藤堂丸之助」というたいそうな名の代わりに竹に縁(ゆかり)のある「雀丸」と名乗りを変え、今では竹光屋として大坂の片隅で地味にひっそりと暮らしている……はずだった。そんな雀丸につい先日、大きな転機が訪れたのだが……。



  3       10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21  次へ
 
〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
Back number
第五話 俳諧でひと儲けの巻3
第五話 俳諧でひと儲けの巻2
第五話 俳諧でひと儲けの巻
第四話 抜け雀の巻3
第四話 抜け雀の巻3
第四話 抜け雀の巻2
第四話 抜け雀の巻