連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 そんな横町奉行に、こともあろうに若造で世間知らずで商いの道にも疎く貫禄も経験も乏しい雀丸が就任することになったのだ。なってしまったのだ。前任者の松本屋甲右衛門(まつもとやこうえもん)にうまくだまされた……というのが本当のところだが、甲右衛門は雀丸ならかならず横町奉行の重責を果たせるにちがいない、と彼のひととなりを見込んだのである。大坂を、そして日本をめぐる状況は大きく変化しようとしている。島原の乱以来の大乱である大塩(おおしお)の乱が勃発し、ロシア、イギリス、アメリカ、フランス……といった諸外国の船が頻々(ひんぴん)と現れ、この国を二百五十年におよぶ長い泰平の眠りから揺り起こそうとしているのだ。そんな時代には、横町奉行も年寄りの隠居では間に合わぬ。身体が達者で、頭脳明晰(めいせき)な若者のほうがふさわしい。甲右衛門はそう考えたのである。
 そんなこんなで、甲右衛門に丸め込まれた雀丸は、竹光屋を営むかたわら、新任横町奉行として大坂の庶民の公事ごとを解決することになった。浮世小路に住まっているため、世間のものは「浮世奉行」とあだ名しているらしい。雀丸には、甲右衛門から引き継いだ、彼の手足となって働いてくれる「三すくみ」という心強い補佐役がいるのだが、年齢ゆえか人生経験ゆえか、補佐役たちが雀丸を若干軽んじているような気配ではある。その話はまたのちほど。
「では、うかがいましょう。訴えの主はおまささんのようですから、おまささんからお話ししてください」
「えっ、こいつが? 雀さん、それはあかん。こらあ、おまさ、おまえは……」
 貞飯は言いかけたが雀丸ににらまれて口を閉ざした。反対にまさはにたりと笑う。雀丸は少しでも貫禄を示そうとしてぬるくなった茶を口に運ぶと、まさに向き直った。まさはぐーっと身を乗り出し、雀丸に顔を近づけると、
「うちのひと、浮気してますねん」
 雀丸は飲みかけた茶をぶーっ! と噴き出した。まさにかけるわけにはいかないので、かろうじて少しそらせたが、その結果、茶はすべて加似江の顔面にかかってしまった。加似江は眉毛ひと筋動かすことなく、むっつりと茶を手拭いでぬぐい、雀丸を無言でひとにらみした。あとで覚えておけよ、という意味のようだ。
「ほんまだっせ。証拠もおますねん。この亭主、絵描きとしてわてらを養う甲斐性(かいしょう)もないくせに、一人前なことをさらすやなんて、どう思いなはる? わてはこのひとが絵でお金をよう稼げんさかい、洗い張りやら縫いもんやら近所の子守りやら……朝から晩までずっと働きづめに働いてますねん。そのお金であんな女と浮気するやなんて……く、く、くくくやしいーっ! きーっ!」
 雀丸は手のひらでまさの口をふさぐと、加似江に目配せした。加似江は立ち上がり、
「ぼん、おばあと一緒に向こうで遊んでよか」
 男の子もほっとした様子で、
「うん……」
 ふたりは台所のほうへ行った。雀丸はまさと貞飯に向き直り、
「こどもに聞かせるような話やないですね。少しは謹んでください」
 ふたりは一瞬しゅんとしたが、それは一瞬だけのことだった。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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