連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「ほんで、でれでれした顔で東横堀のほうへ歩いていったわなあ。わても見え隠れについていったんやけど、高麗橋のたもとに舟が泊めてあって、あんた、その女と舟に乗ったわなあ。これはいかんと思て、わて、急いで降りていったんやけど、船頭がわての顔を見て、すぐに舟を出しよったさかいそのあとのことはわからん。あんた、あの女とふたりで舟のなかでなにしてはったん?」
「え、え、えーと……」
 貞飯の顔からは汗が噴き出している。
「帰ってきたのは夜中やったわなあ。お酒の匂いぷんぷんさせて……」
 雀丸は、
(これはすぐに決着がつくな)
 と思った。まさの言い分が正しいなら、非はすべて貞飯にあるのだから。しかし、風向きが変わった。貞飯は顔を上げ、
「よっしゃ、わかった。おまえがそこまで知っとるんやったら、ほんまのことを言うてしまおか」
「浮気の相手のことか」
「ちがう。浮気なんかしとらん」
「まだ言うんか!」
「ほんまや。わしは、さる旦那の注文でいろんな絵を描いとったんや。わしを名指しでな、ぜひあんたに仕事を頼みたい……て言うてくれはった。仕事もほとんどないし、ありがたい話やろ。ただし、その旦那とはいっぺんも会(お)うたことはないねん。旦那は、事情があってあまりひとまえには出られへんらしい」
「なんでやの。顔がめちゃくちゃ不細工やとか」
「ちがうやろ」
「お日さんに当たったら解けるとか」
「雪やないねんから。――わしの考えではたぶん、びっくりするぐらい身分の高いお方やないかと思うねん」
「公方(くぼう)さまとかお天子さまとか」
「アホ。そこまでいくかい。けど、それに次ぐぐらいのご身分の方とちゃうか」
 もしくは逆に、世間に出ると命を狙われたり、捕縛される可能性のある人物、ということもありうる、と雀丸は思った。
「つぎはこれを描け、あれを描け、と旦那の注文をわしに告げにくるのが、おまえが見た女や。できあがった絵もあの女に渡す。茶店で待ち合わせして、舟のなかで受け渡しをして、そこから天満(てんま)の料理屋でごちそうになる、ゆうのがいつものだんどりやねん。相手が注文主やさかい、飲ませたる、ゆうのを断るわけにいかんやろ。最初に仕事を引き受けるときに、このことはだれにもしゃべったらあかん、と固く釘を刺されたんやが、おまえがあんまりわしを疑うもんやからとうとう言うてしもた。ええか、おまさ。今わしが言うた話はほかでは言うなよ。雀さんも頼むわ」
「わかりました」
 雀丸は言った。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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第四話 抜け雀の巻2
第四話 抜け雀の巻