連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「まだまだぎょうさん描かなあかん場所があるみたいやねん。それに近頃、もっと早く描け、ゆうて納期をやかましゅう言うてくるのがかなわん。なんや売れっ子になったみたいな気になるなあ。――これでわかったやろ。わしは浮気なんかしとらんのや。ただ、絵の仕事をしとっただけや」
「なんや、そやったんか。それを聞いて安心したわ。わての早とちりやった。あんた、堪忍しとう。ほんまにすんまへん…………て言うとでも思たか、この極道!」
「えっ?」
「あのな、よう考えてみ。だれにも人気のないあんたの名所絵なんぞ、どこのだれが銭出して買うのや。そないにすぐにバレる嘘ついてどないするねん。だいたいその旦那はどこであんたの名前を知ったんや。近頃、浮世絵なんか一枚も描いてないやろ。はんこ屋行ったかて、あんたの絵なんか置いてるかいな!」
 浮世絵は、下絵を描く「絵師」、版木を彫る「彫り師」、色摺(いろず)りをする「摺り師」によって作られる。工房のようなものがあって共同作業をしているわけではなく、それぞれが長屋などの自宅でひとりで作業をし、できあがったらつぎの工程に回すのだ。江戸における「絵草紙屋」は大坂では「はんこ屋」といい、各種の浮世絵や絵草紙などを売っていた。
「そ、それは……こないだ出た地誌の挿絵が気に入ったとか言うてたらしいけど……」
「地誌の挿絵て墨一色の地図みたいなもんやろ。そんなもん気に入るわけがない」
「そんなんわしは知らんがな」
「その旦那は、あんたにいろいろ矢継ぎ早に絵を描かせて、それをどないするつもりやの? 彫ったり摺ったりして浮世絵として売り出すんか? そやないやろ。それとも、家に飾って眺めるんか、あのしょうもない絵を?」
「まあ……そうかもわからん」
「あるかいな。あのしょうもない絵やで」
「なんべんもしょうもない言うな!」
「しょうもないからしょうもないて言うてるんや。しょうもない絵をしょうもないて言わんかったらなんて言う? しょうもない絵はしょうもないて言うしかないんや」
「おまえ、かりにも亭主が仕事で描いてる絵をしょうもないて……それは言いすぎやぞ」
「ふん! 嘘がバレそうになったら亭主風吹かせて言い抜けようとするやろ。――雀丸さん聞いとくなはれ。わての考えではこのひと、あの女とねんごろになったんでわてと辰ちゃんを捨てる気ですわ。わてをごまかすために、絵を注文されたとか言うてるだけや。このひと、アホやさかい、そないに知恵は回らん。たぶんあの女が知恵つけたにちがいおまへん」
「わしの話を聞いてなかったんかいな。せやからあの女は旦那との橋渡し……」
「橋渡しが、なんで『こちのひと』てなことを言うんや!」
「そそそそそれはな、それはな、旦那の指図で、夫婦(めおと)のように見せかけてくれ、て言われたさかい……」
「そんな話、信じるとでも思うたか! 『旦那』なんかおらんのやろ? ほれ、ありていに白状しなはれ」
「吟味みたいに言うな。おるわい」



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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第四話 抜け雀の巻2
第四話 抜け雀の巻