連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「ぎゃおっ!」
 貞飯は逃げ出し、まさは追いかける。大工道具をまたぎ、カンテキを飛び越え、薪(まき)を蹴散らし、狭い雀丸の仕事場をぐるぐる回っている。
(まるで安珍〈あんちん〉・清姫〈きよひめ〉だな……)
 と雀丸は思ったが、どうにもならないので放っておいた。そのうちに壁に立てかけてあった竹の束が振動で倒れ、貞飯がそれにつまずいたので、まさに追いつかれてしまった。まさは手を貞飯の両脇に突っ込むと身体を高々と持ち上げた。たいへんな怪力である。
「こ、こら、なにをするねん。おろせ! おろさんかい!」
 貞飯は足をじたばたさせたが、まさは聞く耳を持たず、
「でやあーっ!」
 と投げた。貞飯の身体は宙を飛び……柳川鍋のうえに落ちた。
「熱ちーっ!」
 貞飯が身体を払ったとき、奥から飛び出してきた加似江が、
「ごらああああああ……っ!」
 そう叫びながら、貞飯とまさのまえに立ちはだかり、右手で貞飯の、左手でまさの胸倉を摑んでふたりの頭をごつんとぶつけ合わせた。
「痛あっ!」
 ふたりは同時に叫んだ。
「おまえがた、わしが楽しみにしておった柳川を台無しにしおって……許さん!」
 またしてもごっつん! と頭をぶつける。
「痛いっ! ご隠居さま、すんまへん!」
「わてらが悪うございました!」
「いいや、勘弁ならん。あと百回はぶつけてやる」
「ひゃ、百回! 頭が割れてしまいます」
 そのとき、
「おばあ、ごめんなさい」
 辰吉が加似江のまえに座り、ぴたりと両手を揃えて頭を下げた。
「おとんとおかんを許したげてください。頭を叩くのやったら、ぼくの頭を叩いてください。お願いします」
 両目にいっぱい涙が溜まっている。加似江もふたりの首根っこから手を放し、
「ぼん、これはおばあが悪かった。ぼんにとってはどっちも大事な親やからのう。もう叩くのはやめるわい」
「おばあのドジョウ鍋はぼくがそのうちどうにかして償(まど)いますよって……楽しみにしてたのに堪忍してください」
「あっはっはっはっ……そうかそうか。その気持ちだけもろうておこ。ぼんはそんなこと気にせんでええのじゃ。気を遣わせてすまぬのう」
 加似江は貞飯とまさをきっとにらみつけ、
「おまえがた、こどもにこんなことを言わせてどうする。ちいとは改悟して、夫婦喧嘩を慎むがよかろう」
「へへーっ!」
 ふたりは加似江のまえで頭を床にこすりつけた。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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