連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 まさと辰吉は手をつないで先に家を出た。
「ほな、雀さん、また来るわ」
 貞飯がそう言ったので、
「もう来んといてください」
「そうけんけん言わんといてえな。わしもいろいろたいへんなんや。一家三人、家賃入れて四人家内を養わなあかん。というて、絵を描くことよりほかはようせん男や。この割りのええ仕事は手放せん。けど、嫁はんはあないしてキーキー角立てよる。さっぱりわやや。どうせまた揉めるやろ。――そのときはまた力貸してんか」
 雀丸は首をかしげた。てっきり貞飯は浮気をしていて、それをごまかそうと下手な言い訳を並べたものと思っていたのだ。
「貞飯さん、力を貸してほしいとおっしゃるなら、私にだけ、その旦那の名前をこっそり教えてもらえませんか」
「えーっ、そやなあ……ほかならぬ横町奉行の頼みならば、雀さんだけに言うわ。ほかに言うたらあかんで」
「それはもちろん」
 貞飯は雀丸の耳に口をつけ、
「旦那の名前はな……」
「はい」
「地雷屋蟇五郎(じらいやひきごろう)や」
 雀丸は仰天した。

 地雷屋蟇五郎は、相撲取り並みに肥え太った巨体を豪奢(ごうしゃ)な着物に包み、山海の珍味を肴(さかな)に酒を飲んでいた。珍味と言ってもそんじょそこらの珍味ではない。このわた、からすみ、雲丹(うに)は言うにおよばず、牛肉の味噌漬け、雛鳥のつけ焼き、カツオの刺身、海老(えび)の真薯(しんじょ)、アワビの残酷焼き……といった凝った料理、カステイラ、チイズなどの西洋料理など、ちょっとやそっとの金では入手できぬものばかりをずらりと並べ、それらを箸でちびちびつまみながら盃を口に運ぶ。酒も摂津の銘酒「八福(はちふく)」で、大名家にしか売らぬというのを金にものを言わせて強引に手に入れたのだ。食器も盃も箸も金製で、行燈(あんどん)の明かりが反射すると目がちかちかする。
 かたわらにはべっているのは、大金で身請けした北の新地の美妓(びぎ)玉(たま)である。妾にしたわけではなく、酌をさせるためだけに落籍(ひか)したのだ。
「ああ、愉快愉快。この世をば我が世とぞ思うなんとかのなんとかかんとか……という歌があったが、まさにその心境やわい」
 顎にまでたっぷりと肉がついたその顔は、目と目が離れ、口が大きく、唇が薄いので、蟇蛙(ひきがえる)に似ていなくもない。いや……そっくりと言っていいだろう。
 ここは、北浜の大川沿いにある地雷屋蟇五郎の屋敷の離れである。贅(ぜい)を尽くして作られ、天井には蒔絵(まきえ)がほどこされ、欄間には精緻(せいち)を極めた透かし彫りがなされ、床柱や長押(なげし)には悪趣味にも金箔(きんぱく)が巻かれている。敷地の広さといい、母屋の威容といい、使用人が住む長屋の多さといい、蔵の数といい、ちょっとした大名屋敷ほどもある。鴻池(こうのいけ)、飯(めし)、住友……といった大豪商には数歩譲るものの、
「地雷屋の門をくぐったら母屋に着くまでに三日かかるから、握り飯を持っていけ」
 という軽口が流行(はや)ったぐらいである。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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第四話 抜け雀の巻2
第四話 抜け雀の巻