連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「おまえ、わしの身上(しんしょう)を聞きたいか」
「聞きとおます。わては旦さんに身請けしてもろたのに、旦さんのことなんにも知らんのはあきまへんやろ」
「殊勝やな。ほな、地雷屋蟇五郎の一代記を講釈しよか」
 蟇五郎は遠くを見るような目をしたあと、
「わしはふた親を早(はよ)う亡くしたもんで、おばはんに引き取られたんやが、このおばはんがひどいドケチでな、金勘定だけが生きがいの因業ババアやった。居候のわしをタダでこき使うだけこき使(つこ)おて、三度の飯もよう食わさんさかい、いつもいつもひもじい思いをしとった。いつか大きいなったら、腹いっぱい飯を食うてみたい……それだけが望みやったなあ」
「まあ……旦さんにそんな時分があったやなんて信じられまへん」
「ほんまの話や。ある日、あんまり腹が減ったんで、おばはんの留守に勝手に一升飯炊いて、漬けもんと味噌汁でバリバリーッと食うてやった。余った飯は握り飯にして竹の皮に包んで腰に下げ、そのまま家を飛び出した。八歳ぐらいやったかなあ」
「そんなこどものころでしたんか」
「そや。その日から宿なしや。どこかに奉公しよかと思たが、まともな店は口入(くちいれ)屋を通さんと相手にしてくれへん。請け人もおらんから、奉公はあきらめて、自分で商売はじめることにしたんや。たいがいの商売には元手がかかるけど、水やったらタダやろ。そや、水屋や! と思いついたわけや。八歳のガキなりに考えたんやな。毛馬(けま)あたりの野良にだれも使うてない小屋があって、そこに寝泊まりしながら桶とおうこを作るところからはじめた。今から思えば、お百姓が農具をしまっておく小屋やったんやろな。材木やら大工道具も置いてあった。それを使うてトンカチトンカチやってるうちに、なんとか水の漏らんもんができた。土手に捨ててあった、腐ったような小舟も修繕して、こどもひとりなら乗れるようにした。その舟で大川の上流で水を汲む。あとは売って歩くだけや。見よう見まねで『水やあ水やあ、ひゃっこい水やあ、飲んだら五臓に染みわたるう』ゆうて売ってみたら、こどもが売りにくるゆうんで、けっこう買うてくれる。売り声が甲高(かんだこ)うてよう通るから好きや、ていう客もおった」
「今のお声からは考えられしまへんな。あ、これは失礼を」
「かまへんかまへん。あんな美声やったのに、いつのまにかこんな蟇蛙みたいな声になってしもた」
「その水売りがうまいこと当たりましたんか」
「それがやな、わし、棒手振(ぼてふ)りに鑑札がいるやなんてことまるで知らなんだ。水売るだけならええのやが、水船を出すにはお上に届け出なあかんのや。ある日、機嫌よう舟出して水汲んどったら、ほかの水船のおっさんにぼこぼこに殴られてな……」
「まあ、怖い」
「このガキ、だれの許しを受けて水汲んどんねん、て言われて……だれの許しも受けてまへん、食うために水売ってますねん、て正直に話したら、その親方もええおひとでな、わしの身の上を不憫(ふびん)がって、家に住まわせてくれて、水売りもさせてくれた。まあ、わしの売り声を気に入ってくれたみたいやったなあ」
「よろしゅおましたなあ」



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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