連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「わし、親がおらんさかい、その親方をほんまの親みたいに思て尽くしたのや。そのうちに、親方が流行病(はやりやまい)でころっと亡くなってな、わしが鑑札も水船も親方の家もすっくり受け継ぐことになったんやが、そのときわしがぴーんとひらめいたのは、その小船を使うていろんなものを運んだらどやろ、ゆうこっちゃ。三十石に菱垣(ひがき)廻船、樽廻船……ものを運ぶ舟はぎょうさんあるが、ちょっとしたものをちょっとしたところにちゃっちゃっと運ぶ、ゆうような小回りの利く、江戸でいう猪牙(チョキ)みたいな船はこっちには存外なかった。船には『よろずお運びもうしあげます』という旗を揚げた。ちょっとした小遣い銭ぐらいの金で手紙一枚運ぶような仕事も断らず、朝早くでも夜中でも大雨でも大雪でも引き受けたのが良かったんやな。速いし、安いし、船頭はかわいらしいし、……わしの小船の評判はウナギのぼりやった」
「こどもは得ですなあ」
「値段の決まりを守らんかい、ゆうて同業の連中からは文句も出たけど、わしも生計(たつき)がかかっとるからそんなもん知ったこっちゃない。もちろんちゃんと鑑札ももろたで。はじめのうち、町奉行所の役人はなかなか首を縦に振らんかった。こどものくせに船を持つとは生意気な、言うてけんもほろろやったが、こっそり金を摑ませるとコロッと態度が変わってな……。町奉行所というところは、袖の下を摑ませたらなんぼでも言うこときく、ゆうのもそのときわかったのや。そのときのことが頭にあるからやろか、わしはいまだにどうも町奉行所が大嫌いでな」
「…………」
「ときには少々危ない橋も渡った。ほかの船では断るような、出どころのわからん品も運んだ。夜逃げやら女郎の足抜けも手伝(てつど)うた。こういうやり方が大当たりしてな、そこで貯めた銭で船を買い足していくことで、十五、六のころにはわしは三十人もひとを使う、いっぱしの船問屋の主人になっとった」
「えらいもんだんな。けど、こどもには苦労もおましたやろ」
「ガキやゆうてなめてかかってくるやつらもぎょうさんおった。そういう連中にはやっぱり金やな。金で頬桁(ほおげた)叩いたら、なんぼでも言うことききよる。どつかれたり蹴られたり、殺されそうになったこともあったけど、そういうときは金で破落戸(ごろつき)を雇て、ぐうの音も出んほど仕返ししたるのや。おもろかったなあ。世のなか結局は金なんや、ということがあのとき身に染みた。金の切れ目が縁の切れ目、ゆうこともわかった。おたがいさまや。それでええのや」
「でも、それではちょっとさみしおますなあ」
「そうか? わしはちいともさみしいことないで」
「旦さんにお金で身請けしていただいたわてが言うのもなんだすけど、世のなか、銭や金やない付き合いゆうのもあるのとちがいますやろか」
「ははは……ないない。おまえもわしに金がのうなったら、遠慮せんと出ていってええのやで」
「ものすごいこと言わはる。すかんたこやわあ」



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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第四話 抜け雀の巻2
第四話 抜け雀の巻