連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「旦さん、そんなことしてたらそのうち手が後ろに回るんとちがいますか」
「心配いらん。わしがやっとることは、お上の法度に触れるか触れんかぎりぎりのところや。お縄になるようではもとも子もなくなる。そのあたりはちゃんと見極めとるがな」
「それやったらよろしゅおますけど……」
「わーっはははは……わしはな、ここまでやったらお上も見て見ぬふりをする、とわかったら、とことんそのなかで稼ぐで。その一線を越さんようにしとる。ちゃんとわきまえとるさかい大丈夫や」
「あこぎなお方やこと」
「ふふふ……うちの『地雷屋』ゆう屋号も、よそのもんは怖がってよう踏まん地雷火をあえて踏んでみせる、ゆうところからつけたんや。平穏無事な場所にずっと引っ込んで商いしとるだけでは、そら儲からんで。ひとに後ろ指をさされとるぐらいがちょうどええのや。商いの道というのはな……」
 そう言い掛けたとき、廊下から声がした。
「えー、旦さん、おくつろぎのところすんまへん」
「おお、なんや、角兵衛(かくべえ)」
 角兵衛というのは一番番頭である。
「今、表に東町の北岡(きたおか)さまとおっしゃる与力のお方がお越しでおます」
「なに?」
 東町奉行所の北岡五郎左衛門(ごろうざえもん)といえば、定町(じょうまち)廻りのひとりであるはずだが面識はない。急な訪問は解せなかった。
「よっしゃ、わかった。すぐに行くわ」
 蟇五郎は盃を置くと立ち上がった。玉は不安げにその後ろ姿を見送った。
 蟇五郎が店の表に出ると、上がり框(がまち)に与力が腰を下ろしてこちらを見ていた。ほかには同心がひとり、下聞きが四人、土間に突っ立っている。同心はふところに手を入れており、十手を握っているのだろうと思われた。そのぴりぴりした雰囲気に蟇五郎は首をかしげた。
(おかしいな……これはなにかあるぞ)
 腹帯を締め直してひそかに気合いを入れると、板の間に座って頭を下げ、
「当家の主(あるじ)、地雷屋蟇五郎でございます」
 北岡は、青々と剃(そ)り上げた月代(さかやき)を爪でぽりぽりと搔きながら、
「昼間から酒盛りか。いい身分だな」
「わかりますか」
「匂いがぷんぷんする。店のものは皆働いているのだから、少しはわきまえよ」
「はい、以後、気をつけます。――本日はなんのご用事でございましょうか」
「貴様のところは廻船問屋だな」
「はい、廻漕(かいそう)を渡世としております」
「樽廻船を所持しておるな。何隻ある?」
「四隻でございます。ほかにも茶船やら伝馬船(てんません)やら合わせますと……」
「きかれたことにだけ返答せよ。樽廻船のうち、今、海に出ているものは何隻だ」
「四隻すべて、江戸と大坂のあいだを運行させております」



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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