連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 樽廻船も菱垣廻船も大坂・西宮(にしのみや)と江戸を往復する航路を取る。いわゆる西廻り海運、東廻り海運とは別である。樽廻船・菱垣廻船、あわせて四百隻が運航していたとも言われており、樽廻船は普段は十二日かかって江戸に着いたが、その年にできた新酒を江戸に運ぶ順位を競う「新酒番船」のとき、一番になる船は五、六日ほどしかかからなかった。ときには江戸まで二日、という驚異的な船足の場合もあったという。
「間違いないな」
「はい……間違いないと思いますが……」
 ここまで言って、蟇五郎は不安になってきた。与力の意図がどこにあるのかわからなかったからだ。蟇五郎は一番番頭の角兵衛を振り返り、
「角や、わしが今言うたこと合(お)うとるか」
「へえ、合うとります」
 蟇五郎は北岡に向き直り、
「間違いございません」
「つまり、船は出払っており、すべて大坂と江戸のあいだを運行中だと言うのだな」
「はい……」
「貴様のところに『谷九九丸(たにぐくまる)』という船があるのう」
「ございます」
「本日、谷九九丸が土佐沖で公儀の船手頭(ふなてがしら)によって拿捕(だほ)された」
「ええっ……!」
 初耳だった。角兵衛のほうを見ると、番頭も真っ青になっている。
「抜け荷の疑いがあるということで以前より目をつけていたそうだ。案の定、船内からはご禁制の品が見つかったと聞いておる」
「そ、そんなアホな」
「公儀役人に向かってアホとはなんだ!」
「いえ、その……なにかのお間違いではございませぬか」
「貴様、お上の裁定を間違いだと申すか」
「そやおまへんが……抜け荷は露見したら死罪でございます。そのようなことに手を染めるほど私どもはおろかではございませぬ」
「では、抜け荷はその谷九九丸の船頭どもが勝手にやったことで、店の主たる貴様は知らぬとでも申すつもりか。そんなことで言い抜けられるほど東町は甘くはないぞ」
 蟇五郎は脂汗を流しながら、一番番頭に言った。
「谷九九丸がなにゆえ土佐におるのや」
「わ、わかりまへん。昨日の朝早うに安治川(あじがわ)から出帆しまして、今頃は勝浦(かつうら)から熊野灘(くまのなだ)あたりにおるはずでおますけど……」
「船頭はだれや」
「紺八で、楫取(かじとり)は七助、親仁(おやじ)は福松でおます」
「それやったら間違いはないと思うが……」



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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