連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 蟇五郎は北岡与力に、
「当家の船が土佐にあるというのは手前どもも今はじめて知りました。どちらからお聞きになられましたので」
「船手頭より大坂城代を通じてつい先ほど報せがあった。谷九九丸という大坂の樽廻船と英吉利(イギリス)の商船が土佐沖にてひそかに取り引きを行っている、その場に踏み込み、ご禁制の品々を没収(もっしゅ)し、船頭どもを捕縛したゆえ、町奉行所のほうで大坂の船主を捕え、吟味してほしいとのことであった。今月の月番は東町ゆえ、われらが参ったのだ。地雷屋蟇五郎、神妙にお縄をちょうだいせよ」
「お待ちください、お待ちください……これはやはりおかしゅうございます」
「申し開きは町奉行所でいたせ」
 蟇五郎は角兵衛に目で合図を送った。角兵衛は心得顔ですぐさま帳場から紙に包んだものを出して、主に渡した。蟇五郎はそれを北岡に差し出すと、
「これをお納めくださいませ。もちろんそちらの同心のお方の分も支度いたします」
「地雷屋、これはなんだ」
「なんだ、と申されますと困りますが、本日、こちらまでご足労いただいた足代ということで……」
 北岡は鼻先で笑い、その紙包みを放り出すと、
「ふん、賄賂か。はばかりながらこの北岡五郎左衛門、貴様のような素町人から金をもろうて悪党を見逃すほど腐ってはおらぬぞ」
「それはそうでございましょうが、今の濁世、きれいごとだけでは渡っていけませぬ。魚心あれば水心……とかなんとか申しますゆえ……」
「あなどるなよ、地雷屋。貴様は世の与力・同心は皆、魂まで腐り果てていると思うておるだろうが、わしのように潔癖な硬骨漢もおるのだ」
「わかりました。――おい」
 蟇五郎が顎をしゃくると、角兵衛はさっきよりも分厚い紙包みを北岡に渡そうとした。
「汚らわしい!」
 北岡はその包みを土間へ叩きつけた。紙が破れ、小判が散乱した。
「東町の与力・同心を甘く見るな、たわけが!」
「こ、こ、これは失礼をば……」
「抜け荷だけでも死罪に当たるものを、あまつさえ町奉行所の役人を賄賂で籠絡せんといたすとは不届き至極。われらを不浄役人と思うてか!」
 それまで黙っていた四十がらみの馬面の同心が、
「北岡さまは東町きっての清廉なお方だ。賄賂などとは片腹痛い。控えおれ!」
「皐月(さつき)、よう言うた。このものに縄を打て」
 その言葉に皐月親兵衛(しんべえ)は捕り縄を出し、蟇五郎を縛(いまし)めようとした。角兵衛が皐月の腕にとりすがり、
「谷九九丸が抜け荷をしたご禁制の品いうのはいったいなんでおます」
「それは……言えぬ」
「それでは手前どもでは調べようがおまへん」
「貴様らはなにもせえでよい。調べは船手頭とわれら町方においてすでに相済んだ。あとは、蟇五郎の身体に聞くまでだ」
「そんな……せめて抜け荷の品の名を教えとくなはれ。そうしたら帳面と突き合わせがでけます。お願いいたします」
「ええ、うるさい、放せ!」
 それでも角兵衛は腕を放そうとしなかったので、皐月はその背中に十手を叩きつけた。角兵衛は、ぎゃっと言って倒れた。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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第四話 抜け雀の巻2
第四話 抜け雀の巻