連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「主人思いはけっこうだが、出しゃばると貴様もひっくくるぞ」
 奥から走り出てきた玉は角兵衛を抱き起こし、
「お調べもせず証拠も示さずいきなり縄かけるて、それはなんぼなんでも無体やおまへんか!」
「なんだ、貴様は? 蟇五郎の妾か」
 玉は平然として、
「さようでございます」
「妾風情の出る幕ではない」
「そうおっしゃられても、おのれの主が無理無体に連れて行かれるのを黙って見てはおれまへん」
「なにを生意気な……」
 皐月がまたしても十手を振りかざそうとしたとき、蟇五郎が言った。
「もうええのや。おまえたちの気持ちはようわかった。わしは今からお奉行所へ行くが……なあに、身に覚えのないことやさかい、すぐに疑いも晴れて帰れるやろ。それまでおとなしゅう待っててくれ」
 そう言ったあと、蟇五郎は少し考えてから、
「雀さんには言うといてもらおか。――ほな、旦那、参りまひょか」
 北岡はにやりと笑い、
「その態度、殊勝である。たしかにすぐに帰れるかもしれぬ。身に覚えがなければな。なれど、身に覚えのないことまでも『ある』と言うてしまうのが町奉行所というところよ。――行くぞ」
 下聞きのひとりが縄の端を持ち、蟇五郎の背中をどんと突いた。蟇五郎はよろよろと歩きながら、店から出て行った。先ほどまでこの世の栄華を謳歌していたのが嘘のような姿だった。東町のものたちがすっかりいなくなったあと、角兵衛はその場にへたっと座り込んで泣いた。ほかの番頭や手代、丁稚など大勢の店のものたちは呆然としたまま声もなかった。ただひとり、玉だけが気丈に、
「これはなにかの間違いだす。旦さんは今さっきもわてに、お上の法度に触れるか触れんかぎりぎりのところを見極めて、一線を越さんようにする、お縄になるようではもとも子もなくなるて言うてはったところや」
 角兵衛が顔を上げ、
「そ、そうだす。それが地雷屋の商いのやり方だすさかい」
「それやったら抜け荷なんかするはずがない」
「江戸に向かわせてた谷九九丸が土佐におる、ゆうのも解せん。船頭の紺八は腕利きで、頼りになる男でおます。旦さんを裏切って勝手に抜け荷なんぞするとはとうてい思えん。――これはもしかしたら……」
 角兵衛は腕組みをした。
「もしかしたら、なんやのん」
「濡れ衣かもしれまへん。うちを潰してやろう、と思とる同業のもんの仕業やないかと思います。そいつらが東町の与力・同心と手を組んで、旦さんを陥れようとしとるのかも……」
「それやったらえらいことやないの。泣いてるときやおまへんで。なんとかせな……」
「なんとかせな、て……わてもこんなことはじめてでどないしたらええのか……」
「横町奉行や。旦さんはたいそう今の横町奉行に肩入れしてはった。たしか仇名(あだな)が雀さんや」
「あ、そう言えば、旦さんも、雀さんに言うといて、て言うてはりましたな!」
「角兵衛、わてと一緒にお願いにいきまひょ」
 角兵衛の顔が少しだけ晴れた。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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