連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka


「さっきはえらい目に遭うたわい」
 加似江(かにえ)が柳川(やながわ)鍋をつまみながら酒を飲んでいる。貞飯(さだめし)とまさの喧嘩(けんか)のせいでドジョウもささがきゴボウもぐちゃぐちゃになってしまったが、雀丸(すずめまる)は床に落ちた具を洗ってもう一度鍋に戻し、焼き豆腐を加えて煮直した。見かけは悪くなったが、酒のアテとしてはけっこういける。
「けど、貞飯さんに絵を注文している旦那というのが、地雷屋蟇五郎さんというのはまことでしょうかね」
「三すくみのひとりじゃな」
「はい。なにもやましいところがなければ、ひとまえに出られないなどと嘘を言ったり、そんな女に仲立ちをさせたりすることはないはず。名所絵ぐらい、堂々と頼めば済むことでしょう。貞飯さんの話がまことなら、その絵の注文について地雷屋さんにはなにかしらやましいことがあると思われます」
「地雷屋はおまえの味方ではないか」
「まだ知り合ってから間もないので、ひととなりまではわかりません。私に力を貸してはくれますが、根は金儲けがなにより好きな強欲商人ですからね……」
「ふうむ……」
「ですが、夫婦(めおと)喧嘩は犬も食わぬと言いますが、まことですねえ。貞飯さんの隣近所は、あの夫婦の怒鳴り声で毎朝目を覚ますらしいです」
 雀丸はにこにこと盃を口に運んだ。
「たわけ。呑気(のんき)なことを抜かしておるが、おまえもよい歳(とし)じゃ。そろそろ嫁をもらわねば、夫婦喧嘩すらできぬぞ」
「はあ……そう言われてみれば夫婦にならなければ夫婦喧嘩はできませんね」
「そのとおりじゃ。どこぞに憎からず想うておる娘でもおらぬのか」
「いませんなー。竹光(たけみつ)屋などというわけのわからぬところに嫁に来るような娘はよほどの物好きでしょう」
「では、物好きを探せばよかろう」
 あてがわれた二合の酒を飲んでしまった加似江は、冷や酒を茶碗であおりはじめた。
「物好きはなかなかおりませんよ」
「あの園(その)とかいう娘はどうじゃ。なかなか気が合(お)うておったように見えたが……」
 雀丸は飲みかけていた酒を噴き出しそうになった。
「あの娘とはただのネコトモです」
「ネトコモ? なんのことじゃ」
「ネトコモではありません。ネコトモ……猫好きのことをそう呼ぶそうです」
「ふん、雀のくせに猫が好きとはおまえも変わっておるわい」
「それに、園さんのお父上は東町の同心です。町人になった私とは身分がつり合いませぬし、正直、もう武家と親戚づきあいをする気もありません」
「身分違いとはおまえも古くさいことを言うのう」
「そうでしょうか」
「雀丸、今に見ておれよ。近いうちに武士も町人も百姓も一緒……身分というものがなくなる世の中になるぞ」
「どうしてわかります」
「身分ほどくだらぬものはないからじゃ。大勢が、もうそのことに気づきかけておる。なんの役にも立たぬ無駄飯食いの武士どもが『ひとのうえに立つ』などと申して威張っておる。おかしいと思わぬほうがおかしい」
 なるほど、と雀丸は思った。雀丸の商売も、武士が「武士の魂」である刀を窮迫のために売り払うことで成り立っているのだ。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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