連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「でも、お祖母さま、そのようなことはあまり口にせんほうがよろしいのではありませぬか」
「なにゆえじゃ」
「武士も町人も百姓も同じになる、とは、徳川の世が崩れ去るということでしょう」
「そうじゃ」
 加似江はこともなげに言うと、茶碗に残っていた冷や酒をぐーっと一息に飲み干した。それから飯に茶をかけるとさらさらと腹に収めた。
「ま、あの同心が親類になるというのはわしもぞっとするが、当人同士が好き合っておればかまわぬぞえ」
「だーかーらー、あの子とはただのネトコモ、いや、ネコトモ……」
 雀丸がそう言って酒を飲みかけたとき、
「ごめんください。雀丸さんはいらっしゃいますか」
 雀丸は今度こそ本当に酒を噴いた。その声は、今話題になっている皐月同心の娘、園のものだったからだ。板の間を布巾で拭きながら、
「おりまーす。どうぞお入りくださーい」
 加似江は雀丸の背中をドン! と叩いて、にやりとした。
 からからと戸が開いて、丸顔の娘……園が入ってきた。腕に白と黒のぶちの猫を抱いている。ヒナという名前で、なぜか雀丸にもよくなついている。すぐに腕から降りると、雀丸のところへやってきて、身体をこすりつけた。
「ご隠居さま、これはおみやでございます」
 園は、紙包みを加似江に渡した。加似江はひと目見るなり大声をあげ、
「おおおっ、大和(やまと)屋のよもぎ餅か。これは好物じゃ」
 加似江はさっそく手ずから茶の支度をはじめた。雀丸がヒナの喉を撫でながら、
「どうかしたんですか」
「ヒナを診ていただくために道隆(みちたか)先生のところに参りました。その帰りにちょっと寄り道を……お邪魔でしたでしょうか」
 町医者で元馬医者能勢(のせ)道隆の住まいは樋ノ上橋(ひのうえばし)の南詰めだから、そこから天満の同心町にある屋敷に帰るには、浮世小路(うきよしょうじ)はとんでもなく遠回りなのだが、雀丸はそのことには触れず、
「いえいえ、とんでもない。大々々歓迎ですよ。で、ヒナは怪我でもしたのですか」
「ええ……少しばかり……」
「なにをしでかしたのです」
「雀を獲ろうとしたのです」
 猫が雀やネズミを狩るのはあたりまえだ。
「それで……?」
「飛びかかったら雀につつかれて、泣きながら私のところに戻ってきました。前足を見ると血が出ておりましたので、大事をとって道隆先生に診ていただいたのです。膏薬(こうやく)を塗っていただきました。雀に負けるなんて、猫としては恥ですね。きつく叱っておきました」
「きっとたまたま強い雀だったのでしょう。気にすることはありませんよ」
 なんとものんびりした会話をよそに、加似江はよもぎ餅の数を数えている。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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