連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「そのことが師匠にバレましてな、ほんまやったらうちのひとは破門されて、わてもクビになるところだすのに、長谷川先生は優しいお方で、そんなに惚れ合うてるのなら一緒になれ、ゆうて裏長屋に家を借りてくれはりましたんや。そんな風にして夫婦になったもんやさかい、ひとつのものは半分ずつ、半分のものは四半分ずつ、四半分のものは八半分ずつ分け合うてこれまでやってきました。かわいいかわいい辰ちゃんも生まれて、お金はないけど幸せに過ごしてたのに……あのひとが『旦那』からの注文で名所絵を描くようになってからどうも妙なことになって……」
「例の女ですか」
「へえ……」
 まさは悄然(しょうぜん)として、
「あれから帰ってもわてはまだ得心しとらんかったさかい、喧嘩の続きですわ。その旦那ゆうのがほんまにおるんやったら、どこのなんちゅう旦那や、聞いてどないすんねん、その旦那のところへ暴れ込んだる、アホ、おまえには言えんわい……そこからどつきあいだす。障子は破れるわ、戸は折れるわ、カンテキはひっくり返すわ……」
「こどもが見てるのですから、そういうことは……」
「けど、わての気が収まりまへんがな! それからしつこううちのひとを問い詰めましたんや。そしたらなんて言うたと思います?」
「さあ……」
 わかるわけがない。
「おまえがわしのことを信じてくれんのやったら、もう……もう……もう……」
「牛じゃな、まるで」
「もう……もう別れよか、て……」
 そこまで言うと、まさはどっと泣き崩れた。あまりに激しく号泣するので涙と鼻水と涎(よだれ)で板の間がべしゃべしゃである。まさの嗚咽(おえつ)がやむのを待って、雀丸は言った。
「それでどうなったのです」
「わても売り言葉に買い言葉で、よっしゃ、ほな離縁するさかい、三行半(みくだりはん)書いてんか、て言うてしまいましてん」
「ほう……」
「ほたら、うちのひと、そのまますーって出ていってしもたんです。寄席が好きやさかい、また気晴らしに落語でも聴きにいったんやろ、どうせ半刻(約一時間)ぐらいしたら帰ってくる、帰ってきたらひどい目に遭わせたる、思て待ってましたんやが、待てど暮らせど帰ってこん。そのかわりにどこぞのこどもが来て、『知らんおっさんにこれ渡せて言われた』ゆうてこの手紙を置いていきましたんや。見とくなはれ」
 雀丸は手紙を読んだ。そこにはこう書かれていた。

 拙者暫(しばら)く家に立ち戻らぬ故
 行き処(どころ)探すまじきこと
 かたがた願い置き候

「これは貞飯さんが書いたものですか」
「ヘえ……あのひとの字ですわ。ああああ……なんでこんなことになったのやろ。あのひとが出ていってしもた。あの女のところに行ったにちがいない。ああああああ……ああああああ……」
 また号泣、涕泣(ていきゅう)、哭泣(こっきゅう)である。なにか声をかけなければ収まりそうにない。雀丸は、言わずもがなの言葉を言ってしまった。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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