連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻3 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「これでもう、今のところ打つ手はないですね」
 雀丸が言った。
「あとは明日のことにしましょう。皆さん、ご苦労さまでした」
 雀丸は頭を下げたが、立ち上がるものはいない。鬼御前が心配そうに、
「もし、今夜のうちに蟇蛙が白状してしもてたらどないしまんのや。書物役同心が書き取ったもんに爪印を押さされたら……万事おしまいだっせ」
 皆は押し黙った。しかし、どうしようもないのだ。竹光屋が暗澹(あんたん)とした空気に覆われようとしたとき、
「飲みましょうか……!」
 と雀丸が言った。
「けど、こんなときに不謹慎とちがいますやろか……」
 角兵衛が眉をひそめたが、加似江(かにえ)が大きくうなずいて、
「雀丸、よう言うた。かかるときは酒じゃ。飲んで意気を上げるのが一番良い。昔の英雄豪傑も酒盛りで翌日の戦(いくさ)に備えた。わしらも飲んで、明日またがんばればよい」
 夢八もにたーりと笑い、
「そやなあ。飲みまひょ飲みまひょ。タダ酒ならなんぼでも飲みまひょ」
 鬼御前も白い股を剥き出しにしてどっかと大あぐらをかき、
「よう考えたら、あてら、みんな極道の集まりやわ。侍辞めて竹光作ってるもん、悪徳商人、嘘つき、それにあてみたいにお天道(てんと)さんはばかるような女伊達……不謹慎や言うたら生きてることがそもそも不謹慎や。せめて世間さまになんぼかお返しができれば……とそればかり思うてますねん」
 皆が、ホッとしたような表情になった。
 雀丸がちゃっちゃっと酒肴(しゅこう)の支度をした。なにもないのでありあわせだ。梅干しの種を取り、包丁で叩いて、鰹節(かつおぶし)をまぶしたもの、ほうれん草をさっと湯がいて固く絞り、胡麻(ごま)をかけたもの、目刺しの軽くあぶったもの、冷奴(ひややっこ)に茗荷(みょうが)を刻んで載せたものなどである。酒は一升徳利からめいめいが手酌で茶碗に注いで飲む。
「さあ、角兵衛はん、飲みなはれ」
 鬼御前に茶碗を押し付けられ、
「よ、よっしゃ。明日は明日の風が吹く。旦さん、ご勘弁を……」
 そう言うと、息をもつかずぐーっとあおった。
「ああ、喉がよう渇いてたさかいけっこうだすわ」
「あんた、いける口やないか。さあ、もう一杯」
「いや、もうよろしいわ。あとはちびちびと……」
「なに言うてるん? あての酒が受けられへんちゅうんか」
 頭のどこかでは蟇五郎のことを案じながらも、和気藹々(あいあい)の酒盛りがはじまった。鬼御前は、角兵衛を酔い潰さんばかりにどんどん飲ませる。角兵衛も負けじと鬼御前に飲ませる。すると加似江が鬼御前に勝手な負けん気を出してこれまたがぶがぶ飲む。夢八は、そのあたりに落ちていた竹を拾って大津絵(おおつえ)の又平(またべい)の真似をして踊り出す。雀丸がそんな様子を見つめながら飲んでいると、
「こんばんは……」
 表で静かな声がした。雀丸は弾かれたように立ち上がると、戸を開けた。園(その)だ。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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