連載
浮世奉行と三悪人
第四話 抜け雀の巻3 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 二十年ばかりまえ、独逸(ドイツ)人で長崎阿蘭陀(オランダ)商館の医師を務めていたシーボルトは、鳴滝という場所に私塾を開き、大勢の弟子を育てたが、帰国に際し弟子のひとり高橋景保(たかはしかげやす)が贈った伊能忠敬の日本地図が国禁に触れるとして尋問を受け、蒐集(しゅうしゅう)した絵図、刀、鏡などまでも没収され、国外追放になった。高橋景保は死罪となり、家族や通詞(つうじ)、弟子など五十名を超えるものたちが連座して処分を受けた。
「地雷屋はんに罪をなすりつけるためにシーボルトの件を真似たに相違おまへんわ」
 夢八がそう言うと、角兵衛も目を三角にして、
「どこのどいつか知らんけど、汚いやっちゃ」
 雀丸は、
「その『汚いやつ』ですが、角兵衛さんには心当たりはありませんか」
 角兵衛は途端にしょげたような顔つきになり、
「それがその……うちの旦那はご存じのとおり、ああいう性質(たち)だっしゃろ。儲かるとなればなりふり構わずでおますさかい、恨みもぎょうさん買(こ)うとります。旦那は常日頃、商いは戦やから法度に触れんかぎりはなにをやってもええ、勝てばええのや、と口癖のように言うとりますが、腹を立てとるお方はおりまっしゃろなあ。けど、名前を挙げるのは、わてとしては同業者を密告(さ)すようでちょっと気が引けます。もし間違えてたらえらいことでおますし……」
「地雷屋さんの命がかかっているのですよ。教えてください」
 一番番頭は頭を抱えた。すると、夢八が、
「ほな、わてから申しましょう。わてが小耳に挟んだところによると、作州屋治平(さくしゅうやじへい)というのがなにかにつけて地雷屋はんと張り合うておるとか……」
 角兵衛の顔がこわばった。
「へえ……たしかにそれは……」
「作州屋なら、蟇五郎さんを罪に陥れるぐらいのことはしかねませんか」
 雀丸がきくと、
「うーん……」
 角兵衛はしばらく唸っていたが、
「わかりました。旦さんのためや。思い切って申し上げます。わても、旦那が捕まったときに真っ先に思い浮かべたのは作州屋はんの名前だした」
「へー、どうしてです」
「あの御仁は、うちが廻船をはじめたころはことあるごとにうちを潰そうとしとりました。やり方もえぐいんだ。たとえば船乗りを金で言いなりにして、海のうえで積み荷を燃やさしたりしまんねん。荷主への償いもせなあかんし、信用も落ちるし……めちゃくちゃでしたわ。けど、うちがめげんと商いを大きゅうしていったら、しれっとあたりまえの付き合いをするようになりましたけど……腹のなかではなにを考えとるかわかりまへん」
「そうでしたか……」
 いくら鳩が使えても、大坂にいては埒が明かぬ。土佐に赴くべきだろうか、と雀丸は思った。しかし、船手頭とは会えぬだろうし、地雷屋の船乗りたちも山内家の牢に入れられているだろうから、行ったとしてもたいしたことはわからないかもしれない。雀丸は頭を抱えた。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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