連載
浮世奉行と三悪人
第五話 俳諧でひと儲けの巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「それやったら米買うたほうがええと思いますけどなあ。だいぶ痩せはったし……」
「米が買えんさかい、毎日おからしか食うとらんのや」
「米を買いなはれ」
「いや、わしはこの半紙一枚に賭けてみるつもりや。頼むさかい売ってんか。これこのとおりや」
 土下座せんばかりの現蕉を見て、主の昆助は腕を組み、
「うーん、そこまで言われるとわても商人(あきんど)やさかい、損はしとうない。しかるべき鑑定人に見てもろて、値打ちを調べてから値をつけとうおます」
「それで芭蕉の真筆やとわかったらどないする」
「そらまあ、三百両、もしかしたら千両ゆうことになるかもしれまへん」
「そら困る。なんとか今、一両で売ってくれ。これが偽物なら、偽物で一両ゆうたら大儲けやないか」
「ほな、偽物やとわかったら先生に一両で売りますわ」
「アホなこと言うな。偽物とわかったあとで金出すやつがどこにおるのや。ほんまもんか偽もんかわからんさかい、一両賭けるのやないか。なあ、頼むわ。おまえもわしが今日見つけんかったら、これがここにあることもずっと知らんままや。そのうちにほかしたかもしれんやないか。そう思て、な、一両で売ってくれ。な、な、な、な、な……」
「そないに『な』ばっかり並べられても……」
「売ってくれんのやったら、この半紙、おまえの目のまえでびりびりに引きちぎってしまうで」
「あ、あ、あ……やめとくなはれ」
「わしはやる言うたらやる男や。びりびりにして、春は三月落花のかたち、比良(ひら)の暮雪は雪降りの体(てい)……」
「蝦蟇(がま)の油の口上かいな。――わかりました。先生には負けた。売りまっさ。けど言うときまっせ。一旦買いはったら、あとで返せ言うたかて一両では引き取れまへんで。偽物やとわかったら、タダでも買えまへん。そのこと承知やったら、一両でお譲りします」
「おお、売ってくれるか。ありがたい!」
 押しいただくようにしてその半紙を持ち上げる現蕉を見て、主は小声で歌うように言った。
「知ーらんでえ、知ーらんで……」

 あれほどやかましかった蝉の鳴き声も失せ、秋を間近に迎えた浮世小路(うきよしょうじ)は静まり返っていた。
「静かじゃのう」
 昼餉(ひるげ)の膳についていた祖母の加似江(かにえ)がぼそりと言った。
「そうですね」
 相対している雀丸(すずめまる)はうなずいた。そこで会話が途切れた。ふたりはしばらく黙って飯を食った。冷や飯に大根の醤油漬け、それに豆腐の味噌汁という献立である。大根を嚙むかしゅかしゅ、かしゅかしゅ……という音だけが響いていた。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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