連載
浮世奉行と三悪人
第五話 俳諧でひと儲けの巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「それはあかんわ。百両はあてがもらいます。そもそもあては、雀丸さんに発句を添削してもらおうと思て来ましたんや。じつはな、あてとこも手元不如意でな、今度、世話になったお方の大きな花会があって、祝儀を渡さなあかん、できたら百両は包みたいけどそんな金、逆さにしても出てこんし、どないしよ、て思うてたところへこの句合わせの引き札や。だれにも邪魔はさせまへんで」
「ほっほっほっ……さきほどの発句を聞いたかぎりでは、おまえさん、俳諧ははじめてじゃな。そうじゃろう。そんな連中の句が天に抜けるものかや。わしはこう見えて、若いころ、俳諧を習うたことがあるのじゃ。おまえがたとはちがうぞ」
「ご隠居さまはご隠居さまで勝手にやったらよろし。あては雀丸さんに教えてもらうさかい……なあ、雀丸さん」
 鬼御前は雀丸にしなだれかかり、太い腕をその首にからみつけた。雀丸は大蛇に巻き付かれたような気分になった。
「うははははは……雀丸がなんの力になろう。そやつは松尾芭蕉がだれなのかも知らぬぞよ」
「まさか、そんなことないわなあ、雀丸さん」
「あ……いや、知らないことはないんですが……古川や、とかいう句を作ったひとですよね」
「古川やのうて古池だす」
 急に鬼御前は冷たい顔になって雀丸から離れた。雀丸は咳払いをしてから、
「あのですね、私がわからないのは、どうして芭蕉の辞世の句が見つかったからといってそんなに大騒ぎしているのか、ということです。芭蕉っていうのは、そんなにえらいのですか」
 加似江はため息をつき、
「わが孫ながら情けなや。知らぬとあらば、わしが説いてやろう」
 そう言って話しはじめたのが、以下のことがらである。

 松尾芭蕉は、元禄(げんろく)時代に活躍した俳諧師で、もともとは伊賀上野の出身だ。三十歳を超えたころ江戸に出た芭蕉は、はじめは貞門風(ていもんふう)、のちには談林風(だんりんふう)の俳諧に親しんだが、そのなかから独自の作風を確立していき、ついには俳諧を芸術の域にまで高めるにいたった。後半生を旅に暮らし、その終焉(しゅうえん)の地はここ大坂であった。御堂筋(みどうすじ)にあった花屋仁左衛門(にざえもん)の貸座敷において、門弟たちに見守られながら息を引き取った。最後の句は、「病中吟」と前置きした、

 旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る

 であった。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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