連載
浮世奉行と三悪人
第五話 俳諧でひと儲けの巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「どういう意味なんです。蛙が池に飛び込んで浮いてこなかった……ということでしょう? つまり……泳ぎが下手な蛙?」
 鬼御前が、
「ちがうちがう。蛙が溺れ死んだゆうことや。ねえ、ご隠居さま」
「阿呆。芭蕉の蕉風開眼の句として『古池や蛙飛び込む水の音』という句がある。これを聞いた門弟たちが驚いてひっくり返ったという名句じゃ」
「はあ……」
「この句を踏まえて、芭蕉はおのれを蛙になぞらえ、風流の道に飛び込んでみたものの、結局一生そこから出ることなくもがき続け、とうとう浮かび上がることはできなかった……という思いを込めたのじゃ。同じ道を目指すものとして、わしには芭蕉の気持ちが痛いほどわかる」
 いつから芭蕉と同じ道を目指し出したのだろう……。
「おまえがたがいくら頭をひねろうと、入選は無理じゃ。恥を搔くまえにあきらめよ」
「いえ、あきらめまへん。かならず名句を考えてみせます。『鉄火場にやくざ飛び込むドスの音』ゆうのはどないだっしゃろ」
「季言葉がないし、肝心の『雨』が入ってないやないか」
「あ、そうか……」
「それに、おまえさん、やくざやら旅人(たびにん)やらを出すのはやめたほうがええ」
「なんでですのん。身近なできごとを詠むのが俳諧ですがな」
 そんなやり取りを聞きながら、雀丸は、
(この連中はまちがっても入賞する気遣いはないな……)
 そう思っていた。もちろんこの時点では、おのれがこの俳諧合戦に巻き込まれる、などということは爪の先ほども予想していなかったのだ。
「ご免」
 表から声が掛かった。のしのしと入ってきたのは、月代(さかやき)を伸ばし放題に伸ばし、あちこち擦り切れて今にも破れそうな着流しに、色の変わった帯、素足に雪駄履きという、一見して浪人とわかる侍だった。背が高く、痩せてはいるが、眉毛が太く、眼光も鋭い。無精髭も目立つ。腰には大刀だけを差しており、脇差はない。
「いらっしゃいませ」
 座したまま、雀丸が言った。侍は雀丸を睥睨(へいげい)すると、
「そこな町人、雀丸と申すは貴様か」
 居丈高な声だった。
「はい。私がこの店の主、竹光屋雀丸でございます」
「本物そっくりの竹光を拵(こしら)えると聞いたが……」
「はい。見本をお見せいただければ、できるだけそれに近いものを作ります」
「まことであろうな。嘘だったら叩き斬るぞ」
 乱暴なひとだな、と思いながら雀丸は、
「嘘は申しません」
「さようか……」
 武士の顔がややゆるみ、
「それがしは河野五郎兵衛(こうのごろべえ)と申す。急いでおる。この……」
 河野は腰から刀を鞘(さや)ごと抜いて雀丸に渡し、
「この刀と同じものを至急作るのだ。よいな」
 言葉の端々に、高圧的なものが感じられる。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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