連載
浮世奉行と三悪人
第五話 俳諧でひと儲けの巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka


 雀丸は、その三両三分で滞っていた家賃をはじめ、まえの節季に払いそこねていた米屋、酒屋、八百屋、魚屋、油屋などの掛けを支払った。手もとにはあまり残らなかったが、それでも気分はよい。それから十日ほどはなにごともなく、訪れるひともおらず、こちらから訪れることもせず、仕事もなく、横町奉行としての案件が持ち込まれることもなく、雀丸は加似江とふたりだけの静かな暮らしをしずしずと送っていた。
 小遣い稼ぎに竹籠を編んでいるとき、
「あの……雀さん」
 行きつけの居酒屋「ごまめ屋」の主(あるじ)、伊吉(いきち)が訪ねてきた。
「ありゃ、伊吉さん。ご無沙汰で申し訳ない。近頃ずっと手元不如意でなかなか店にも行けませんでしたが、ようやく少しゆとりができたので、また寄せていただきます」
「いや……そういうことやないねん。じつはな……雀さんとこに居候してる八茶とかいう爺さんいてるやろ」
「ああ、はい。八茶がなにかご迷惑を……?」
「迷惑ゆうか、うちとしてはありがたいんやけど、ちょっと雀さんの耳には入れといたほうがええんとちゃうか、ていうことになってな……」
「なんか怖いですね。どういうことです」
「あの爺さん、毎晩、夕方になったら来てくれるんや。小鉢もんかなんかでぎょうさん飲みはってな、そやなあ……一晩に二升は飲むかなあ」
「そんなに……!」
「暴れるわけやなし、クダを巻くわけやなし、飲んでくれるのはかまへんねんけど……」
「なにがいけないのです」
 伊吉は少しためらったが、
「その飲み代は、て言うたらかならず、雀さんとこにツケといて、て言うねん。うちは掛け売りはしてまへんねん、て言うたんやけど、雀さんも承知しとることやさかいかまへんのや、と言うんでなあ……」
「ええええっ」
「ほかならぬ雀さんのことやから、あの爺さんにかぎって承知して、それからずっと飲ませてるんやけど、これでかれこれ十日になるやろ。ツケもえろう溜まってきてるし……ほんまに雀さんが承知なんかどうかたしかめてこい、て嫁はんに言われてなあ」
「あのですねえ、伊吉さん……」
 伊吉は肩を落とし、
「あんたの顔つきでだいたいわかったわ。あの爺さん、とんだ曲(くせ)もんやな」
「で、ツケはどれほどになりますか」
 伊吉の答えを聞いた雀丸は思わず飛び上がり、
「エーッ」
 と叫んでしまった。
「よくもまあそんなに飲みましたね」
「うちはよその店よりはだいぶ安いとは思うけど、毎晩二升やからな。――どないしたらええやろか」
「どないしたらもこないしたらも、とにかくお支払いします」
 雀丸は、伊吉に金を払った。全額は無理だったので半分だけ支払ったのだが、これで河野五郎兵衛にもらった四両はほとんど消えてしまった。
「今日から、あの爺さん来ても、飲まさんようにするわ。ほな……」
 そう言うと伊吉は帰っていった。雀丸は、八茶の寝所をのぞいたが、もぬけの殻である。ため息を三斗ほどついて、ふたたび竹籠編みに戻ったところへ、
「雀丸!」
 加似江がおもてから大声をあげながら飛び込んできた。手にくしゃくしゃの紙を握りしめている。
「これを見よ! えらいことじゃ!」
 加似江が広げたその紙には、句合わせの入選句と作者名が百人分、びっしりと摺(す)られている。
「へえー、とうとう出ましたか。で、お祖母さまは載っているんですか」
 加似江は悔しそうにかぶりを振った。
「じゃあ、なにがえらいことなんです」
「これじゃ!」
 加似江はある句を指差した。そこには、

 花に疲れ下向くうなじに雨の粒  五弁

 とあった。しかも、句の頭にマルがつけられている。上位十句に選ばれたのだ。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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