連載
浮世奉行と三悪人
第五話 俳諧でひと儲けの巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 そんなときに、現蕉からつぎのお題が発表された。それは、「蛙(かわず)」だった。広く撒(ま)かれた引き札には、

 全国津々浦々よりあまねく集めたる万句の俳諧から拙者(せっしゃ)現蕉が選りに選りすぐりし名誉の十傑がここに揃(そろ)ひたり。次なる句合はせの題をいかがすべきやと非才現蕉腸(はらわた)を絞りし後、良き思案あり。芭蕉翁蕉風開眼の名句『古池やかはづ飛び込む水の音』と此度(こたび)見つかりし辞世の『とびこんで浮かむことなきかはづかな』、此の二句にちなみ、二度目の句合はせの題を『蛙』に決す。蛙はもとより春の季詞(きことば)なれど、蕉翁かつて貞享(じょうきょう)の頃深川芭蕉庵にて催されたる『蛙合(かわずあわせ)』に倣(なら)はむと蕉翁尊像に許しを請ひたれば暁の夢に蕉翁立ちて、よしと申されけり。此の催しを以て、蕉風俳諧再び隆盛の端緒となる事疑ふべからず。
     興行主・点者 風狂庵現蕉

 と記され、その横に現蕉が石工に依頼しているという句碑の完成予想図とそれを眺めてにっこりしている俳人らしき老人の絵が載っている。これは芭蕉なのだろうか。当人がおのれの辞世の句碑を眺める図というのは、正直、悪洒落が過ぎるような気もした。
(蛙……蛙か……)
 なにも浮かばない。そりゃそうだ。前回の入選句も鬼御前の作なのだから。
 それから雀丸は、彼の名の短冊を買われる重圧と、恥ずかしくない発句を詠まねばという重圧に押しつぶされそうな日々を送った。
「蛙……蛙……蛙……」
 朝起きてから寝るまで、ひたすら蛙のことを考え続けている。頭のなかに無数の蛙が棲(す)んでいるような気分だ。
「『古池やかわず這い出す二、三匹』……だめだな。『痩せ蛙負けるが勝ちと胸を張り』……つまらないな。『蛙の子そこのけそこのけ……』あ、そうか、蛙の子はおたまじゃくしか。えーと……『ゲコゲコと……』いや『ゲロゲロと……』のほうがいいか、『ゲロゲロ……ゲロゲロ……ゲロゲロ』……うーん……」
「朝からゲロゲロとうるさいぞ、雀丸。おまえには俳諧の才はからきしないな」
 加似江が言った。
「そんなことはわかっています」
「わしがいくつか作ってやったぞ」
「おお、良い出来ですか」
「だめじゃ。どれも凡々たる出来だのう。わしの俳諧の才も枯れ果てたようじゃ」
「そうですか……」
 雀丸はため息をつき、大きな欠伸をした。その様子を見ていた加似江は、
「雀丸、おまえ、痩せたのう。まるで痩せ蛙じゃ」
「はい。痩せました。食べものが喉を通らないのです」
「顔色も悪い」
「でしょうね。毎日あまり寝ていませんから」
「のう、雀丸。句を詠んで大枚をせしめようというのは虫が良すぎたかもしれぬな」
 雀丸は顔を上げた。
「そもそもおまえの句は、鬼御前が拵(こしら)えたものじゃ。ここは潔く、二度目の句合わせは辞退しようではないか」
「お祖母さまはそれでよろしいのですか」
「かまわぬ。おまえの身体が案じられる。竹光作りが本業なのだから、俳諧で倒れてはなんにもならぬ。それに、玄人の宗匠がふたりも入っておるのじゃから、おまえが天に抜かれる見込みはない。辞めてしまえ」
「ですが、私の短冊を買った皆さんにどうお詫びしたらよいのか……」
「わしが聞いたところでは、おまえの短冊の売れ行きは十人中べべちゃじゃ。今のところたいした数ではない。身体の塩梅(あんばい)が悪いとかなんとか言うて、句合わせを辞めると現蕉に申し出て、短冊を買うたものたちに返金してもらうようにすればよい。べべちゃで良かったのう」
 それはそれで傷つく。
「わかりました。そういたします」
 雀丸は、加似江の言葉に心底ホッとした。頭ではそうするしかないと思っていたのだが、なかなか言い出せなかったのだ。
「では、さっそく現蕉さんのところに行ってまいります」
「うむ。善は急げじゃ」
 善なのかどうかはよくわからなかったが、とにかく一刻も早くこの件を片付けて、心の重荷を取り除きたかった。雀丸が家を出て歩き出そうとすると、背後から蛙の声が聞こえてきた。一匹ではない。おそらく十数匹はいるだろう。西横堀の浜には蛙が少なくないのだ。だが、もう蛙の句は作らなくてもよい。
 高麗橋(こうらいばし)を東へ渡ろうとすると眼下の東横堀からも蛙の合唱が聞こえてきた。普段はまるで気にしていない蛙の声だが、こうして句作りのために意識していると、案外あちこちで鳴いているものだとわかった。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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