連載
浮世奉行と三悪人
第五話 俳諧でひと儲けの巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka

(このまま喧嘩にならないよう、なんとか丸く収めなくては……)
 雀丸がそんなことを思っていると、雑喉場の連中の一番後ろのほうから、
「こらあ、雑喉場のやつらは腰抜けか! はるばる天満くんだりまでやってきて、なにもせんと帰るのか! 見損のうたぞ、アホどもめ!」
 ガラガラ声が聞こえた。雀丸は、その声の主ががに股で顔の角ばった初老の男であることを確認したが、雀丸の視線に気づいたのか、男はすっと見物人の後ろに引っ込んでしまった。雑喉場の若者たちは、その声に押されるように、
「うわあああ!」
「死ねえっ」
「やってまえ!」
 手にした得物(えもの)を振りかざして青物市場の連中に向かって突っ込んでいった。
(いけない……!)
 雀丸は、今にも血の雨が降ろうという二組のあいだに割って入ろうとしたが、それより一瞬早く、三つの石礫(いしつぶて)がどこからか飛来し、雑喉場の最前列にいた男たちの包丁や割り木を地面に叩き落とした。
「な、なんや……」
 雑喉場の衆の足が止まった瞬間、
「やめい!」
 という大喝があたりを震わせた。雑喉場の若者たちはびくりとして立ちすくんだ。それは、みすぼらしい浪人体の侍……河野五郎兵衛だった。若いものたちは、相手が浪人とあなどり、
「なんや、おまえは。しゃしゃり出て怪我(けが)さらすな」
「そやそや。町人の喧嘩にしょうもない口挟むな。すっこんでえ!」
 河野は雑喉場の先頭に立つ背の高い男をねめつけると、
「わしは、青物市場の用心棒に雇われておる河野五郎兵衛と申すもの。痛い思いをしたくなくば、このままおとなしく雑喉場へ戻るがよい。今日ばかりは見逃して遣わそうぞ」
「な、な、なに言うとんねん。こどもの使いやあるまいし、戻れ言われて、はいそうですかて戻れるかい。なにが用心棒じゃ。武士のくせに、八百屋に媚(こび)売って小遣い稼ぎか。どかんかい、貧乏侍」
「思い上がった町人ども、武士に雑言いたすと捨て置かぬぞ」
 河野はドスの利いた声でそう言うと、刀を抜いた。
「うわっ!」
「ぬ、抜いた!」
 雑喉場の連中は潮が引くように退き、先頭の男も今にも後ろ向きに倒れそうなほど腰が引けている。しかし、魚屋は度胸が売りものだ。ここで弱気を見せるわけにはいかない、と思ったのか、先頭の男は逆に一歩進み出て、
「ヘなちょこ侍、これでも食ろとけ!」
 かーっ、ぷっ! と唾を吐きかけた。その唾は河野の顔までは届かず、眼前に落ちた。河野は竹光を振り上げた。雀丸は内心、
(河野さん、竹光ということを忘れてる! このままでは大恥を搔くかも……)
 そう思ったが、河野はためらわず竹光を一閃(いっせん)させた。元結(もとゆい)が切れて、男の髻(もとどり)がざんばらになった。
「ふわあっ!」
 男は尻餅をついた。
「つぎは、おまえの首が胴から離れるぞ」
 河野が一歩迫ると、男は両手をまえに突き出し、言葉にならぬ声で、
「ふわあああ……ああああ……あひっ!」
 そう叫ぶと、転がるように逃げ出した。残りの雑喉場の連中もあとに続いた。見物は指を差して大笑いしている。河野は、青物市場の若者たちが頭を下げて口々に礼を言うなかを、自慢そうな顔ひとつせず悠々と去っていった。
(たいしたもんだ……竹光がまるで真剣に見えた。凄い腕だな……)
 武士だったころは亡父に直心影流(じきしんかげりゅう)を叩き込まれた雀丸なので、剣客の力量を見ぬく目はたしかである。
(あんな腕があるなら、どうして浪人を……。それに、どうしてあんなにお金に執着するのだろう……)
 河野の背を見つめながらそんなことを考えていると、群衆のなかからふらりと現れた夢八が、雀丸に目で合図をし、河野を指差して、そのままあとをつけていった。今の一部始終もどこかで見ていたらしい。
 そこへ、東町奉行所の同心たちが捕り方を率いて現れた。
「路上にて大勢で喧嘩口論していたというのは、そのほうたちか!」
 居丈高な口調で十手を振り回している馬面の同心は、園(その)の父皐月親兵衛(さつきしんべえ)ではないか。雀丸はあわてて顔を隠し、群衆に潜り込んだ。



         10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23  次へ
 
〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
Back number
第五話 俳諧でひと儲けの巻3
第五話 俳諧でひと儲けの巻2
第五話 俳諧でひと儲けの巻
第四話 抜け雀の巻3
第四話 抜け雀の巻3
第四話 抜け雀の巻2
第四話 抜け雀の巻