連載
浮世奉行と三悪人
第五話 俳諧でひと儲けの巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 教えられたとおりに行くと古い裏長屋があった。この界隈(かいわい)は、大塩焼けの影響がまだ残ってはいるものの、天満宮(てんまんぐう)、東照宮、町奉行所与力(よりき)、同心の役宅などが建ち並ぶ地で、あまりこの手の裏長屋はないのだが、「貧乏長屋」とはこれのことか、と言いたくなるようなぼろぼろの長屋だった。つぎつぎ建て増しで作られたらしく、三軒長屋、四軒長屋、六軒長屋などが縦横(たてよこ)に入り組んで迷路のようになっている。そのどんつきに糊屋のお婆が言ったとおりの五軒長屋があった。入り口の戸がない家もあり、障子紙は破れ、「一応家の恰好はしている」という状態である。気おくれしながらも夢八が、
「すんまへん。河野五郎兵衛先生のお宅はこちらだすかいな」
 そう呼ばわると、五軒長屋のすべてから、一軒につき四、五人のこどもが顔を出した。皆、真っ黒に日焼けしており、裸足である。着物も今にも破れそうなつぎはぎのもので、縄を元結や帯代わりにしている。驚いた夢八が振り返ると、ほかの三軒長屋、四軒長屋……などからもこどもの顔がタケノコか土筆(つくし)のように伸びていた。夢八は少しうすら寒くなったが、役目を思い出してもう一度、
「河野先生は……どちらにいらっしゃいますかいな」
 すると、五軒長屋の右端の家から、河野が現れた。
「なんだ、貴様は」
「へ、へえ……竹光屋雀丸の使いのもんだす」
 うっかりそう言ってしまった。まあ、嘘ではないが……。
「なに? あの発句について、まだごてくさと抜かしておるのか。わしはあの句を返さぬぞ。そう申し伝えよ」
「いえ、そやおまへん。句のことはもうよろしいねん。あの句は河野さまに差し上げます。それより、あの……このお子たちはいったいなんでおますのや」
「こやつらか。――わしの子だ」
「ははは……お戯れを。なんぼあなたが手懸(てかけ)、妾(めかけ)をぎょうさんお持ちでも、こないに子だくさんにはなりまへんやろ」
「おまえに話す筋合いの事柄ではない」
「それやったら言わせてもらいますけどな、雑喉場の連中が得物持って飛び出しかけたとき、石礫が飛んできましたやろ。あれを投げたのはわたいだっせ」
「――なに?」
 河野は目を細めた。
「まことか」
「へえ」
「貴様……なにものだ。あの礫、闇雲に放ったものではなかった。貴様……まさか公儀隠密……」
「はっはっはっ、アホなことをおっしゃれ。わたいはただの……竹光屋雀丸の使いでおます」
「ならば、あのひょろりとした優男(やさおとこ)こそが公儀の手のものか」
「そんなわけおまへんやろ。あのひとは横町奉行でおます」
「なんと……そうであったか。大坂の町人のあいだで重宝がられるそういう役割の仁がおる、とは聞いたことがあるが、あくまで町人のためのものゆえ、われら武家にはあまり関わりはないからのう」
「ほな、この子らのこと、お話しいただけますか」
「あの石礫には助けられた。こちらへ入るがよい。――おまえたち、なにもないから安堵(あんど)して引っ込んでおれ」
 そのことばにこどもたちはそれぞれの長屋へ戻っていった。河野は自分が出てきた家に夢八を招き入れたが、そこには数人の少女がいた。河野は、ほぼ中身の綿のない座布団に夢八を座らせると、
「汚いところであいすまぬが、ここがわしの家だ。このものたちは皆、親のないこどもでな、わしが引き取って養育しておるのだ」
「そうだしたか……」
「今、四十人、いや、四十一人おるのだが……こやつらはもともと武士の子なのだ」
「――えっ」
 河野の話によると、彼はかつて東町奉行所の同心だった。同心は、新しい町奉行が江戸から着任するたびに主従関係を結び直すのだが、実質的には世襲制である。河野家は大坂で代々町方同心を務めてきた家柄であった。しかし、父親が死に、彼があとを継いで町奉行所に勤めはじめたころに全国的な飢饉(ききん)が起こり、京、大坂の町も飢えるものであふれた。ところが大坂の大商人たちは、儲けるときは今だとばかり米を買い占め、値を吊り上げたため、餓死者はますます増えた。大塩平八郎(おおしおへいはちろう)は東町奉行所の与力だったが、学問に専念するため職を息子に譲り、洗心洞(せんしんどう)という私塾を開いて陽明学を教えていた。大塩は大坂のひとびとを救わんと、商人の買い占め禁止や蔵米の放出などを行うよう、当時の東町奉行跡部山城守(あとべやましろのかみ)に建議を行った。しかし、跡部はそれを一切無視したばかりか、公儀に媚びへつらい、新将軍徳川家慶(いえよし)就任儀式に使うよう、大坂の米をむりやり江戸へ送って、その方針に反するものをどしどし捕縛した。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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