連載
浮世奉行と三悪人
第五話 俳諧でひと儲けの巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「すでにこのことお頭の耳にまで達しておる。同心株を返上させよ、との沙汰が内々に下された。わしの手ではもはやどうにもならぬのだ。許せ、河野」
「身の証(あかし)を立てとうございます。今しばらくの猶予を……」
「もう手遅れだ。ご老中も、大塩の一件についてはことのほか厳しく、残党の蜂起を防ぐため、少しでも疑わしきものは罰せよとのお考えのようだ。大塩は、ここ東町の与力であった。おまえがその感化を受けていてもおかしくはないのだ」
「…………」
 こうして河野五郎兵衛はおのれ自身が浪人となった。浪人のこどもを引き受けるなど偽善ぶっていたバチが当たったのだ、いい気味だ、などという陰口も聞こえてきたが、河野はそれどころではなかった。同心ではなくなったのだから、当然、屋敷は召し上げられ、禄も失った。しかし、だからといってこどもたちを放り出すわけにはいかぬ。彼は奔走して、これまで世話をしてやったものたちに、ひとりでもいいから引き取ってはもらえまいか、と頼んで回ったが、同心という身分を失った途端、町人たちは手のひらを返した。浮世とはそういうものだとはわかっていたが、彼らの仕打ちが恨めしかった。
 河野は、まず家を探した。だが、浪人で家族の多い彼に家を貸そうという大家はいなかった。河野はひたすら平身低頭し、ようやく火事で丸焼けになった天満で安い長屋を見つけた。罹災(りさい)したままで修繕をしていないのだ。屋根も焼けて雨が降ると畳はずぶ濡れになるし、柱も焼け焦げていて、いつ倒れるかわからない。だが、貸し賃が貸し賃だ。文句は言えぬ。
 これで住まいはなんとかなった。つぎは金だ。河野は必死に仕事を探した。おのれひとりではなく、大勢を食わさねばならないのだ。さいわい大坂は焼け野原から復興しようとしていたので、選ばなければ仕事はいくらでもあった。しかし、力仕事に従事する河野を町人たちは嘲(あざけ)った。
「あいつ、こないだまで町奉行所の同心やったんやで」
「へえ、えらい変わりようやな」
「十手振り回して威張ってたのが、今ではあのざまや」
 どうしても金が必要だった河野はそういう声を聞き流して働いた。そのうちに、もっと割りの良い用心棒の仕事にありつけるようになった。あくどいやり口で儲けている商人は敵も多く、彼らはおのれを守るために外出時は用心棒を雇った。俺はこういうやつを連れているぞ、と世間に見せびらかすのが大事なのだ。河野の腕まえはよく知られており、彼を従えた商人にはだれも手を出さなかった。河野は用心棒の掛け持ちをしながら、こどもたちを養った。
 それから十年ほどの月日が流れたが、彼が養育しているこどもの数は減るどころかますます増えていた。ある程度の年齢になったものは巣立っていくが、それに倍する人数の子がやってくる。断るわけにはいかない。河野は、用心棒をしながら貯めた金で、借りる長屋を増やしていった。はじめは五軒長屋のまんなかに住んでいたが、その両隣を借り、しまいには五軒長屋全部を借りる。つぎに隣接する三軒長屋を借りる、その横の四軒長屋を
……という具合に、河野の借りる長屋は増え続け、今やこの裏長屋のほとんどすべてを借りていたが、それでも足りないぐらいだった。こどもたちはそこにあふれているのだ。
「そうでしたか。そんなご立派な方だったとは……私が間違っていました。侍風を吹かせているというより、町人に嫌な目に遭わされて傷ついておられたのですね。――でも、それがどうしてあんなにお金を?」
 雀丸が言うと、夢八は眉根を寄せて、
「それが……えらいことになりましたんや。あそこの長屋は雉屋伊右衛門(きじやいえもん)という材木問屋の持ちものなんですが、雉屋が急に、あの長屋を潰して材木置き場にする、て言い出したらしゅうおます。せやから、来月までに出ていってもらいたい、と……」
「来月? もうすぐですね」
「川崎東照宮の建て直しがはじまるんで、天満に材木置き場がいる、ゆうことやそうですねん。もちろん、それは困る、て河野さんは差配に言うたそうでおますけど……」
 差配は首を縦には振らなかった。
「わしはなにも無茶なことを言うとるわけやおまへんで。『いつでもご入り用のときはただちに明け渡しお返し申しあげ候』という一筆が入ってまんねん。それも、明日出ていけの明後日出ていけのと言うわけやない。ふた月の猶予を差し上げとります。もし、出ていくのが嫌やったら、買い取ってもらいまひょか」
「買い取る? いくらだ」
「百二十両。びた一文負けられまへん」
「高すぎる。なんとかならぬか」
「あのなあ河野先生……長屋一軒やおまへん。これだけの長屋、みなの値ぇだっせ。安いと思いますけどな」



         10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23  次へ
 
.shtml" -->
〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
Back number
第五話 俳諧でひと儲けの巻3
第五話 俳諧でひと儲けの巻2
第五話 俳諧でひと儲けの巻
第四話 抜け雀の巻3
第四話 抜け雀の巻3
第四話 抜け雀の巻2
第四話 抜け雀の巻