連載
浮世奉行と三悪人
第五話 俳諧でひと儲けの巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 いくら交渉しても、差配は値を下げることはなかった。雉屋からかたく言いつけられているのだ。もちろん河野にそんな金はない。いくら稼いでも、それは家賃と食費に消えていく。河野もこどもらもいつも腹を減らしてぴいぴいしている。余分な金などどこを探してもない。河野はあちこちに頭を下げて金を借りようとしたが、雉屋と揉めるのを恐れてだれも貸してくれなかった。今からいくらしゃかりきになって働いても二カ月で百二十両稼ぐのは無理だった。あとは博打(ばくち)しかないが、逆にすべてを失う可能性もあり、それは河野にはできなかった。熟慮の結果、彼は先祖伝来の刀を売ることにした。脇差はとうに売り払ってしまっていたので、残るは大刀だけだが、これを売ってしまうと用心棒の職を失うかもしれない。しかし、躊躇(ちゅうちょ)している場合ではない。河野は刀を売る決断をしたが、まだ八十両ほど足らない。そこで見つけたのが、句合わせの引き札だ。河野は藁(わら)にもすがる思いで投句することにした……。
「と、こういうわけらしゅうおます」
 雀丸は、四杯目の飯に味噌汁をかけて食おうとしている加似江に、
「出てまいります」
「いずこへ?」
「河野さんに謝りにいきます。随分と失礼なことを申し上げてしまいました」
 言うなり、雀丸は駆け出した。

「気にするな。わしのほうも句合わせのことで迷惑をかけておる。なれど……かどわかしの下手人と思われておるとはな」
「まことに申し訳ありません。河野さんのお顔を見ていると、身寄りのないこどもを育てている、などとは微塵(みじん)も思えませんでしたので」
「はっはっはっ……それが失礼だと申すのだ」
「すみません」
「いや、夢八とやらに聞いた。おまえも以前は大坂弓矢奉行付きの武士だったとか。町人風情などとののしって悪かった」
「河野さん、そのことですが……武士だからえらいとか、町人のほうがまことはえらいとか、そういうのはやめにしませんか」
「――わかっておる。だが、町人に受けた数々の仕打ち……ことにこどもらへの無慈悲ななしようが情けのうてな。徳川の御世になってから町人や百姓を守ってきた武士に対してあまりに恩知らずではないかと思うのだ。おそらくこの先、武士というものは衰えていくばかりであろう。ならば、なおさらに武士の……浪人の子弟をなんとかせねばならぬ。それは本来、徳川家がなすべきことのはずだがな……」
「ごもっともです」
「たとえば、この千津(ちづ)だ」
 河野はかたわらにいた少女の頭を撫でた。それは、餅屋で団子を盗んで食べたと折檻を受けそうになっていたあの子だった。
「このものの父親は川浪六郎(かわなみろくろう)と申して、播州龍野(ばんしゅうたつの)の脇坂(わきさか)家に目付として仕えておったが、七年まえ、この子が三つのときに同じく目付役の山瀬滝之助(やませたきのすけ)という男と口論になり、刺されて亡くなった。口論のもとは、山瀬がひどく腹黒いやつで、おのれの出世に邪魔なものは蹴落とし、おのれにへつらうものを重宝して、政(まつりごと)を歪(ゆが)めているため、見かねた川浪がそのことを家老に報じたことへの逆恨みらしい。山瀬はその日のうちに逐電し、行き方知れず。喧嘩両成敗によって川浪家は断絶になった」
「えーっ。それはひどい」
「おまえも武士だったからわかるだろうが、大名家というのはそういうものだ。龍野にはほかに親類がおらず、この子の母親はこの子を連れ、遠い縁者を頼って大坂に出てきたが、その縁者というのがすでに亡くなっていた。母親は失意のうちにまもなく病死し、路頭に迷っていたこの子をわしが引き取ったのだ。ほかのものも、たいがいそういう不幸な目に遭(お)うてここにいる。叩くのはよろしくないとは思うが、ひもじさから盗みなどひとの道に外れたことをすると、将来、盗人になってしまうのではないか憂いてしまい、ついつい手が出る」
「なるほど……」
「いや、これでたがいに隔意が取れた。以後昵懇(じっこん)に頼む。おまえの竹光屋としての腕はたいしたものだ。ひとまえで抜刀してもだれも気付かぬ」
「河野さんの腕もたいしたものです。私も同じ直心影流ですが、竹光で元結を切るのはすごいです」
「見ておったか。あれも、おまえの拵えた竹光が真刀同様の扱いができるからだ」
「長屋から追い立てを食らっている件についても聞きました。蛙の句はできましたか」
 河野五郎兵衛は髭を震わせて、
「できぬ。やはり付け焼き刃で俳諧は無理だな」
「もし、私の句が天を取ったら、賞金の百両は河野さんに差し上げます。河野さんの名で投句する句についても、この際、みんなで考えればいいと思います」
「そ、そうか。喉から手が出るほど欲しい百両だ。すまぬが、尽力頼む。もはやこれしか道はない」
 河野は深々と頭を下げた。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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