連載
浮世奉行と三悪人
第五話 俳諧でひと儲けの巻3 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 時刻が来たとみえ、客が入ってきた。あっというまに葭簀囲いのなかは満席となった。ここの入場料もすべて現蕉の実入りとなるのだ。雀丸は心を落ちつけようとしたが、どうしても煩悩(ぼんのう)を追い払うことはできなかった。客のなかには、加似江はもちろんのこと、園や鬼御前、蟇五郎、大尊和尚らの顔もあった。彼らのまえで、つたなすぎる句を披露して大恥を搔くのかと思うと、どこかへ逃げ込みたい心境だった。
「おかしいな。梨考殿が来てないがな」
 現蕉があわてだした。
「句合わせは九つの午(ひる)の鐘をもってはじめるさかい、四つ(午前十時頃)には来てくれいと言うておいたのやが、もう四ツ半やがな。どないなっとるんや。――おい、だれか梨考殿の家に迎えに行ってくれんか」
「佐吉(さきち)を向かわせとります」
 露封が不快げに、
「梨考さんは宮本武蔵の計略を用いるつもりやおまへんやろな。わざと立ち合いに遅れていって相手の気をいらいらさせて、そこにつけ込んで勝ちを得る。汚いやり口や。まあ、あのひとの考えそうなことやけどな。わしは小次郎やないさかい、その手には乗らんで」
「それはご安堵(あんど)くだされ。もし、定刻に梨考殿が現れなかったときは失格にいたします」
「間違いないやろな」
「はい。決まりを守らないものは勝負に加われませぬゆえ」
 そのときだ。
「現蕉先生、えらいことだっせ!」
 ひとりの男が駆け寄ってきた。
「なんじゃ。忙しいさかい手短に言うとくれ」
 現蕉が苛立(いらだ)ちを隠さずにそう言うと、
「梨考さんが無茶もんに襲われたらしい」
 これには一同が驚いた。
「ど、どういうことや」
「聞いただけで確かめたわけやおまへんけど、梨考さん、句合わせのために家を出ようとしたら、通りすがりのヤクザもんに因縁をつけられてたいへんな目に……」
 現蕉は青ざめた。
「えらいこっちゃがな。梨考殿の短冊を買うとる連中が納得してくれるとは思えん。騒動になるで」
 露封は冷ややかに、
「梨考が刺されたなら、わしの勝ちや。そやないか?」
 雀丸は、露封のまえに立つと、
「私がおります」
「うはははは……あんたは素人、ごまめやないか。わしとまともに俳諧勝負ができるわけないやろ」
「そうですかね。即吟ですからわかりませんよ。まあ、やってみましょう」
 現蕉はおろおろしながら、
「とりあえず客に、梨考殿が来れぬことを言わねばならん……」



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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