連載
浮世奉行と三悪人
第五話 俳諧でひと儲けの巻3 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 鬼御前は片肌を脱いだ。酒で火照った背中にとぐろを巻いた大蛇の刺青が浮き上がっている。蟇五郎は、
「早うしまえ。わし、蛇は嫌いなんや」
 蛇と蛙だと蛙のほうが分が悪い。しかし、そのやりとりを聞いていた河野はかぶりを振り、
「貸してもらいたいのはやまやまだが、借りても返すあてがないのだ。それに、形(かた)として渡せるものもない」
「そうだすか。わしも、返ってくるあてのない金は貸せまへんなあ」
「だろうな……」
「せやさかい……百両は差し上げまっさ。長屋ごと買うてしまいなはれ」
 皆は仰天した。蟇五郎は鬼御前をにらむと、
「どや、わしも気前のええときもあるやろ」
「アホ! ぼろぼろの長屋をきちんと直すには修繕費がかかる。それに、家だけ買うたかて食いもんも着物も炭もいるやろ。倍の二百両出しなはれ」
「とほほほ……えらいとこへ来てしもたな」
 蟇五郎は半泣きになりながらも二百両の金を無償で渡すことを約束した。
「かたじけない。こどもらに代わって礼を申す」
 河野は床几に頭をすりつけるほどの礼をした。雀丸が、
「あのー、蟇五郎さん、すいません。あの八茶、じゃなかった緑蝶というひとがこの店で飲み食いしたツケがまだ残ってまして……それも払ってもらえませんか」
「あかん」
 蟇五郎はにべもなかった。雀丸は肩を落とし、一同は大笑いになった。
(ま、いいか……)
 雀丸はそう思った。

 後日、河野五郎兵衛のものとなった長屋を見にいった雀丸は、あの貧乏長屋がきれいに生まれ変わっていることに驚いた。建具も障子も新しくなっている。
「どうだ、見事だろう」
 いつのまにか横に来ていた河野がそう言った。
「はい。――蟇五郎さんのおかげですね」
「それもあるが……おまえのおかげだと思うておる」
「あの刀、お金ができたら買い戻されたらどうでしょう」
「いや……わしにはこの竹光のほうがよい」
「そうですか。そうですね」
 こどもたちが遊んでいるのを見ながら雀丸は、
「われときて遊べや親のない雀……ですね」
「そうだ。だから新しくなったこの長屋のことをわしはこう名付けた」
 河野は長屋の入り口に掲げられた木の額を指差した。そこには「雀のお宿」と大書されていた。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の戦士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年短編「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『水霊(ミズチ)』『辛い飴』『チュウは忠臣蔵のチュウ』等、著書多数。
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