連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka



 夜。
 大川を挟んでちょうど桜ノ宮の対岸あたり、源八(げんぱち)の渡しのやや南の土手下に川に沿った細い道がある。
 ひとりの男がそのあたりを通りかかった。したたかに酔っている。月はちょうど頭のうえにあり、提灯(ちょうちん)がなくとも歩くに差し支えはなかったが、逆に明るすぎるほど明るいその月が妙に気味悪いのだ。この時刻ではほかに人影はない。足にからみつく雑草も、草むらですだいている秋の虫も、ときどき川のほうから聞こえてくる水音も、今夜はなぜか癇(かん)に障った。
(どうもここち悪いなあ。さっき飲んだ酒が安もんやったからやろか……)
 男は、「百物語」に出ての帰りだった。百物語というのは、数人が集まってひとりずつ短い怪談を披露し、話し終えたら蝋燭(ろうそく)を吹き消していく。百本目の蝋燭が消えて部屋が闇になったときに怪異が起こる、という一種の遊びだが、まえもって支度をしてあったわけではない。友だち何人かと飲んでいるときにひとりが、
「暇やさかい、秋の夜長の『百物語』と洒落(しゃれ)ようやないか」
 と言い出し、皆も賛成した、という経緯だから、蝋燭なども用意していない。とりあえず飲みながら怖い話を百個していこう、というだけなので、すぐにネタが尽き、途中からは同じような話の繰り返しになってしまった。
「夜中にお城の濠(ほり)から河童(かっぱ)が出た」
 とか、
「安治川(あじがわ)に海坊主が出て、ひとを食った」
 とか、
「年取った母親が生魚を骨ごと食べたので、よく見ると猫が化けていた」
 とか、
「寺の庫裏(くり)で毛むくじゃらの化け物に会った」
 とか……どこかで聞いたような話ばかりが並ぶ。
「もう飽きたからやめよう」
 という声もあったが、途中でやめると祟(たた)りがあるから、とにかく最後まで続けよう、ということになり、なんとか百個目を話し終えたときには全員疲労困憊(こんぱい)していた。
「アホらし。なんでこんなしょうもないことやったんや」
「おまえが言い出したんやないか」
「わしとちがう。おまえやろ」
 文句を言い合いながら散会となった。男もふらつく足で表へ出た。皆と別れたあと、急に寒気が背中を走った。そう……男はずっと怖かったのだ。もともと怪談は平気なたちだが、今日は体調のせいか最初からなぜか震えていた。その震えを悟られぬよう、安酒ばかりがぶがぶ飲んでいたのだ。
 男はよろよろと歩いた。かさっ、という音がしたので、首を左に向ける。大川の堤からこの道へと下る小坂がそこにあった。小坂といってもこのあたりにしては急坂である。正式な名はなく、土地のものは「土ノ坂」と呼んでいたが、おそらく「土手の坂」が変化したのだろうと思われた。月光に照らされて、坂が白く浮かび上がっていた。
 ふたたび歩き出そうとしたとき、がらがらがら……という音が坂のうえから聞こえてきた。男はもう一度首をねじってそちらを見、
「ひっ……」
 と声を上げた。なにかが急坂を転がってくる。男が咄嗟(とっさ)に思い浮かべたのは、さっきの百物語でだれかが話した怪談だった。
「坂のうえからころころと、槌(つち)みたいなもんが落ちてくるのや。それは胴の短い蛇でな、ちょろっと短い尻尾が生えとる。野槌蛇とか槌ノ子とかいうやっちゃ。マムシより毒が強いさかい、嚙まれたら死ぬらしいで」
 男の目のまえに転がってきたのは、黒くて横長の棒のようなものだった。男のすぐそばにあった石にぶつかって止まったが、よく見ようとして屈(かが)み込んだとき、なにかが地面から持ち上がった。それは、鎌首をもたげた一匹の蛇だった。男は悲鳴を上げ、逃げようとしたが、酔っているせいもあって足がもつれ、その場に転倒した。蛇は蛇行しながら近づいてくる。男は気を失った。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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