連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka


 夢八(ゆめはち)はとんだしくじりを犯してしまった。ほんまだっかそうだっか……と得意のコマアサルを歌いながら曽根崎(そねざき)の新地を流していると、
「所望!」
 という声が揚屋(あげや)の二階からかかった。見ると、焼き物問屋原西屋(はらにしや)の主(あるじ)、十五郎(じゅうごろう)である。
「ああ、原西屋の旦さん、こんばんは」
「上がってんか。久し振りにあんたの嘘を聞きながら一杯飲みたいのや」
「おおきに!」
 女将(おかみ)に話を通してから階段を上がりながら夢八は不安を感じていた。原西屋は怖い話を好み、自分でも言いたがる。そして……夢八は怪談が死ぬほど苦手なのである。
「礫(つぶて)の夢八」と異名を取るほどの石投げの名手であり、体術や忍びの技の心得もあり、どんな相手も恐れぬ豪胆な男である夢八の、それがただひとつの弱点なのだ。原西屋は以前、化け猫の話を聞かせ、夢八を震え上がらせたことがある。
「お呼びいただいてありがとう存じます。嘘つきの夢八でございます」
「よおよお、待ってたで。入って入って。皆、そこを空(あ)けんかいな。夢八先生のご到来や。さあ、駆けつけいっぱいや。注いで注いで」
 芸子を急(せ)かす。夢八が大きいのでぐびぐび飲(や)りながら、なにをしゃべろうかと思案していると、
「ほな、夢八、今日はひとつ、怖い話でもしてもらおか」
 来た来た。やっぱりだ。この旦那には、芸人に無理難題をふっかけておろおろするのを楽しむ、というひとの悪い側面がある。
「いやあ、旦さん、わたいはあいにくと怖い話の持ち合わせがのうて……」
「そんなはずないやろ。天下の嘘つき、夢八大先生や。なんぼでもネタはあるはずやで。皆も楽しみにしときや」
「うわあ、わて、怖い話大好きやわ」
「夢八っとん、心の臓がきゅーっとなるようなやつ、お願い」
 原西屋への媚(こ)びなのか、それとも本当に怪談に飢えているのか、芸子たちは目を輝かせる。
「夢八、頼むわ。でけたら猫の怪談がええな。まえにおまえの猫の話聞いたときはさっぱり怖いことなかったさかい、今日は捲土重来(けんどちょうらい)といこか」
「ね、猫だすか。承知いたしました……」
 こうなったらやらなしゃあない。夢八は残りの酒を飲み干すと、座布団のうえに四角く座り、しゃべりはじめた。
「しゃべりの夢八でございます。お座敷をかけていただきましてありがとうございます。お好みにより、怖い話をさせていただきますが、あまりに怖すぎて厠(かわや)に行けんようでは困りますさかい、そこは手加減して申し上げます。わたいの申し上げます話にちょいちょい、そんなはずないやないか、とか、アホなこと抜かすな、とかおっしゃる向きがございますが、まことそのとおりでございまして、わたいはほんまのことをひとつも申しまへん。なにしろ稼業が『嘘つき』でおますさかいな、地獄へ堕(お)ちて閻魔(えんま)さんに舌抜かれるまでは嘘、偽り、いんちと、でたらめ、そらごと、妄言、作りごとをひたすらしゃべり続ける覚悟でおますさかい、くれぐれもお気をつけあそばしますようお願い申し上げます」
 そう前置きして夢八が話し出したのは、猫の怪談である。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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