連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka


「おい……夢八……夢八!」
「夢八兄さん……!」
 夢八がゆっくり目を開けると、原西屋十五郎と芸子たちの顔がそこにあった。
「え? わたいはいったい……」
 布団から身体(からだ)を起こそうとすると、額から濡(ぬ)れ手拭いが畳に落ちた。
「ま、ま、ま、そのままそのまま」
 原西屋が両手のひらをこちらに向けて夢八を寝かしつけた。
「どないなってますねん、これ……」
「あはははあ……すまんすまん」
 原西屋は頭を搔き、
「ちょっと冗談(てんご)しただけなんやが、まさか二階から落ちて頭を打つとは思てなかったんや。悪かった、このとおりや」
「どういうことだすねん」
「おまえが怖い話嫌いやさかい、ちいとなぶったろと思てな、まえから支度してこの店に仕掛けを置いといたんや。猫又が行灯を舐めてるように見える影絵の仕掛けをな」
「ほな、あれは影絵だすか」
「そや。わざと猫の怪談をおまえにさせて、外に出たらそれがちょうど障子に映るようにだんどりしてな……きっちり引っ掛かりよった。わしら、大笑いしとったんやが、うまいこと行き過ぎたわ。すまんかった」
「夢八兄さん、すんまへんでした」
「ごめんだっせ」
「お、おまえらもグルやったんか……」
 いつもは聡明で、たいがいの罠なら見破ってしまう夢八だが、今回は怪談を無理矢理語らされたことによる動揺からうろが来てしまったのだ。恥じ入る夢八に原西屋たちはひたすら謝った。
「で、ここはどこだす」
「揚屋の二階の座敷や。今はだれも使(つこ)うてない」
「わたいはどれぐらい寝てましたんや」
「さっき五つ(午後八時頃)が聞こえたとこや」
 ということは半刻ほど気を失っていたことになる。
「そうだしたか。ほな、わたいはこれで……」
 半身を起こしかけると、
「あ、いやいや、頭も打っとるさかい、今夜は動かんほうがええ。さいぜん来てくれはった絃庵(げんあん)先生も、傷もないし、脈もまともやし、頭を冷やしといたらそのうち目ぇ覚めるやろ。一晩ここに寝かしといたら大丈夫や、て言うてくれはった」
 医者に治療を受けていたことすらわからなかったとは……。夢八はますます落ち込んだ。
「けど、よかったわ。おまえが起きてくれへんかったら、わしはひと殺しの罪になるところやがな。この埋め合わせはきっとするさかい、今晩はこれで堪忍してくれ。わし、今から店に戻らなあかんのや」
 そう言って原西屋はさっきよりも分厚い祝儀袋を夢八に押し付けると、
「ええな、今晩はこの部屋から出たらあかんで。おとなしゅう寝といてくれ。明日の朝になったら帰ってかまへんさかい……」
「そら殺生だっせ。今夜の商いが……」
「その祝儀袋に、三日分の稼ぎぐらいの額は入れといた。わしをひと殺しにせんとってくれ」
 原西屋は夢八を伏し拝むようにしたあと、芸子たちに向かって、
「夢八をここから一歩も外に出しなや。おまえらも気ぃつけて見張っといてくれ」
 そう言い残し、あたふたと帰っていった。芸子たちも、
「ほな、わてらもつぎのお座敷があるさかい、去(い)にまっさ」
「夢八兄さん、出たらあかんえ。ときどき見にきまっせ」
 と言って廊下に出ると、障子をぴしゃりと閉めた。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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