連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 雀丸はため息をつき、
「情けない。こんな昼日中から妖怪も変化も出ませんよ。しっかりしてください。そんなものは放っておいても大丈夫ですって」
「大坂の町人の気がかりを取り除くのが横町奉行の務めだっしゃろ」
「私もなにやかやと忙しいんですけどねえ……」
 そのとき、
「こんにちは」
 暖簾(のれん)をくぐって入ってきたのは、園(その)である。東町奉行所の定町廻(じょうまちまわ)り同心皐月親兵衛(さつきしんべえ)のひとり娘だ。腕に抱いているのは、飼い猫のヒナだ。近頃は供も連れず、勝手に歩き回っているようだが、普通の武家娘ではありえないことである。しかし、江戸に比べて侍がほとんどいない大坂という土地で町奉行所の同心を務めるものの家族は、そんなうわべを繕うような暮らしぶりではとてもやっていられない。町人のなかに入り込み、ともに泣き笑いするようでなければ、身分の垣根を越えて彼らを守ることはできないのだ。
「あ、園さん、こんにちは」
「お取り込み中でしたら改めますけど……」
「いえいえ、とーんでもない。ものすごーく暇にしておりました」
 夢八が、
「今、なにやかやと忙しいて言うと……むぐ……」
 雀丸は夢八の口を手でふさぐと、
「どちらかへお出かけですか」
「はい、猫の寺子屋へ行って参りました。その帰りです」
「猫の寺子屋?」
 初耳である。寺子屋というのは町人のこどもに読み書きソロバンなどを教える場で、かつてはおもに寺院で行われていたためにその名がある。江戸では寺子屋とは呼ばず、「筆学所」という。近頃は僧に代わって、学問のある町人や浪人などの師匠が増えてきているというが……。
「猫がなにを教えるのです」
「ほほほ……ちがいますよ。猫が教えるんじゃありません。猫に教えるんです。飼い主である私も教わります」
「なにを教えるんですか」
「いろいろなしつけです」
「糞(ふん)しとか、そういうことですか」
 糞しというのは、便所のしつけのことである。砂を撒(ま)いた箱など、決まった場所で行うように教え込まないと、猫を飼うのはむずかしい。
「そんなことは家でも教えられます。もっとむずかしいことです。たとえば……いかに上手にネズミを捕るか、とか、可愛らしい仕草をするか、とか……」
「はあ……」
「どういう風に毛並を調(ととの)えるか、とか、その猫を引き立てる首輪や鈴を選ぶ法、とか、ノミなどがつかないようにする法……といった、飼い主がやるべきことも教えていただけます」
「猫は勝手に舌で毛づくろいするでしょう」
「美しい毛並を調えるには、それでは足りないそうです。専用の櫛で毎日二度毛づくろいしてやらねばならないのですが、それだけでは間に合いません。食べるものにも気を遣わなくてはいけないそうです」
「猫まんまではダメなのですか」
「はい。艶やかな毛のためには、ご飯に鰹節(かつおぶし)だけではダメなんです。大根の葉やニンジン、キュウリなどを細かく刻んでよく茹(ゆ)でたもの、豆腐、それにイワシやサバなどを万遍なく与えるのがよいそうです」



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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