連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「しぇーっ、猫のしつけに月一分とは突拍子もない額だすなあ」
 夢八が呆(あき)れたように言った。
「けど、ちゃんとしたところのようでしたし、そのネコトモもぜひにと勧めるので、さっそくヒナを入門させることにしました。私は今日はじめて指南を受けたのですが、しっかりした先生でしたよ」
「猫背杓子斎がだすか? うーん……」
 夢八は、イカサマものと疑っているようだ。
「はい。猫についてはたいへんな物知りで、なにより猫が好きで好きでたまらない、という猫愛にあふれているところが気にいりました」
「猫愛ねえ……」
「月一分が高いとおっしゃいますが、毎日通ってもよいのです。そうすると一日あたり三十文ほどにつくので、お得ではないでしょうか」
 話の流れにどうもひっかかるものを感じていた雀丸は、思い切ってきいてみた。
「あの……園さん、どうして急にヒナを猫の寺子屋に通わせようと思ったのですか。ヒナは十分しつけがいきとどいているように思うのですが」
「え? 私、まだ言ってませんでしたか」
「なにを……?」
「今度、鴻池(こうのいけ)家の肝煎(きもい)りで猫合わせが催されることになったのです」
「猫合わせ……?」
 雀丸と夢八は同時に言った。
 泰平が続きに続いてじつに二百五十年。戦(いくさ)のない時代に無用の長物と成り果てた武士たちは暇を持て余していた。また、武士に代わって実質的に世のなかを動かしている裕福な町人たちも同じく暇を持て余していた。やることのない彼らは趣味に走ったのである。江戸でも京でも大坂でも、多くの暇人たちがしょうもないことに熱中した。たとえば、虫を育てること。マツムシやスズムシ、キリギリス、クツワムシといった鳴く虫を飼い、その声を楽しむのだ。鳥を飼うものも多かった。ウズラやメジロ、ウグイス、コマドリ、オオルリといった鳥の鳴き声を愛(め)でる。大名や大金持ちのなかにはカナリア、オウム、クジャクや七面鳥といった異国の鳥を飼育しているものもいた。金魚やメダカも流行した。暑い夏を少しでも涼しく乗り切るための庶民の工夫であり、金魚売りは夏の風物詩であった。花を育てるものも大勢いた。万年青(おもと)、菊、朝顔、盆栽……なかでも朝顔に凝るものは「朝顔連」を作って互いに情報を交換し合った。
 虫にしろ鳥にしろ金魚にしろ植物にしろ、ただ愛でているだけでは飽きてくるし、自分のものがいかにすばらしいかをひとに自慢したくなる。そこで「品定め会」とか「物合わせ」ということが行われるようになった。スズムシならスズムシを持ち寄って、どの虫がもっとも上手に鳴くかを競うのである。これを「虫合わせ」という。ウグイス、ウズラのものも広く行われた。「鳴き合わせ」であるが、ウズラの場合はとくに「鶉合わせ」と呼ばれた。こうなると暇と金を持て余している連中はのめり込む。おのれの飼い虫、飼い鳥にいかに良い声を出させ、きれいな旋律で歌わせるかが勝負の分かれ目である。鳴き方の上手い鳥を借りてきてその真似をさせたり、餌に工夫をして大きな澄んだ声が出るようにしたり、それぞれに凝るようになってきた。犬ならば『犬狗(けんく)養畜伝』、ハツカネズミなら『養鼠玉(ようそたま)のかけはし』、鳥ならば『飼鳥必要』、金魚ならば『金魚養玩草』といった飼育のための手引きも出版されるほどになった。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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