連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「今日参りましたのは、猫合わせの話をするためではないのです。――雀丸さんはツチコロビの噂(うわさ)をご存知ですか」
「ツチコロビ?」
 雀丸と夢八は顔を見合わせた。
「夜中に源八橋近くの土ノ坂を通りかかると、坂のうえから蛇がころころ転がり落ちてくるらしいのです」
「はあ……? 蛇はくねくねと這うものではないでしょうか」
 雀丸が言うと、
「転がってくるのです。それも、胴が太くて短くて、ネズミみたいな尻尾がちょろりと生えている蛇だそうです。藁(わら)を打つ木槌(きづち)みたいに見えるので、槌転びというのだそうです」
「源八というと、園さんのおうちからすぐですね」
「そうなんです。ツチコロビに会ったというひとが、私が知っているだけでも何人もいます。気を失ったひとや、逃げようとしてあわてて怪我をしたひともいます。財布を盗られたという方もいるようです」
「蛇が財布を盗ったのですか」
「蛇といっても妖怪ですから、悪さをするんじゃないでしょうか」
「坂を転がってくる蛇というだけですから、妖怪じゃないでしょう」
「ただの蛇ではないですよ。見かけも動きも変です」
「ちょっと変わった蛇というだけでしょう。私たちがこれまで知らなかった生きものなんて、まだまだたくさんいるようです。ほら……たとえば虎とかラクダとか象とか豹(ひょう)とかを妖怪扱いするのはかわいそうですよね」
 夢八が、
「そういう、わたいらが見たことないさかい、幽霊みたいな魔物みたいな風に思われてるだけの生きもののことを幽魔ていうそうだっせ」
「ユーマ?」
「日本は広い。世界はもっと広い。わたいらが知らんだけで、ちょっと見たら化けものみたいにけったいな生きものはいっぱいおるらしい。猫かて、数がめちゃくちゃ少なかったら、幽魔と思われてたかもしれまへんで。暗闇で目が光るし、高いとこから落ちてもちゃんと立つし……」
「猫は幽魔なんかとちがいます。――ねえ、雀丸さん」
「あ、はいはい……。私も、ラクダも象も見たことはないので、はじめて出くわしたら妖怪と思うかもしれません。河童だって、もしかしたら幽魔の仲間だったりして……」
「それはありえまんなあ」
「夢八さんが踏んづけたという毛むくじゃらの化けものも、もしかしたら知られていないだけの幽魔かも」
「ちがいますって! あれは間違いなく狐狸(こり)妖怪変化……」
「なんのことですか?」
 きょとんとしている園に夢八は恥ずかしそうに、
「なんでもおまへん。――その槌転びゆうのは、たぶんツチノコとかノヅチとかいうのとおんなじやと思いますわ」



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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