連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 夢八の言うには、「古事記」や「日本書紀」にも載っている蛇の一種で、胴が太くて短く、胴に比べると尻尾は細い。槌に似た形態であるところから「槌ノ子」「野槌」「槌転び」などという名で呼ばれている。蛇なのに蛇行せず、坂道などをころころと転がり落ちてきて、ひとに嚙みつくという。跳躍して獲物に飛びかかる、という説もある。毒があるかどうかは定かではない。酒好きで、飲むとぐうぐういびきをかいて寝る、とか、髪の毛やスルメを焼いた臭いに寄ってくる、とか、尺取虫のように動く、とか、これまで、見たというものや、捕まえた、あるいは殺した、というものはいるようだが、
「祟りがあったら怖いから逃がしてしもた」
 とか、
「死骸は捨ててしもた」
 とか、
「飼(こ)うてたけど、いつのまにか消えてた」
 とかいった「話」だけで、現物が確認されたというのは聞かない。つまり、実在する証拠はないのだ、という。怖がりのくせに夢八はやたらと詳しい。
「蛇が獲物を呑んで、腹がぱんぱんに膨れて眠ってたら、そういう姿になりませんかね」
「蛇は見慣れているお百姓や猟師が見間違えるとは思えまへんな」
「なるほど、では蛇の幽霊みたいなものですね。たしかに幽魔だ」
 ほぼ間違いなく「いない」と断言できる幽霊や妖怪、鬼、天狗(てんぐ)などに比べて、ツチコロビや河童、猫又、狒々(ひひ)などは、「もしかしたら我々が知らないだけで、いるかもしれない生きもの」なのかもしれない。そういうものを「幽魔」と名付けるとわかりやすくなる。
「嘘ではない証拠があります。父の同僚の佐倉崎(さくらざき)さまという方が雇っております小者もこのツチコロビに遭ってお金を盗られたそうです。役目の手前、内緒にしておられますが、ひとの口に戸は立てられませんから……」
 源八橋は同心町と近いから、そういうこともあるだろう。
「近頃では、皆が怖いと言い出しまして、夕暮れになるころにはあのあたりをだれも通ろうとしません。父に申してみたのですが、お上が蛇ごときが出るからといって動けるか、と一喝されました」
 それはそうだろう。町方役人も暇ではないのだ。
「ですから、これは横町奉行の出番だと思って、こちらに参りました。雀丸さん、どうぞツチコロビを召し捕ってください」
「召し捕るって……蛇をですか」
「はい。もしまことにそのような蛇が棲んでいるなら、ヒナが嚙まれたりするとたいへんです。もしいないならいないで、怖がっているひとびとにそれを伝えねばなりません」
「横町奉行が、ですか?」
「はい。人心を惑わす流言飛語を打ち消すのは世のためひとのためになることです」
「私も、皐月さまほどではないにしても、案外忙しいんです」
「さきほど『ものすごーく暇』とおっしゃっておいででした。――夢八さんも聞きましたよね」
「え? あ、はい。聞きました聞きました」
「では、私はヒナのしつけがありますからこれで失礼します。よろしくお願いします」
 園はぺこりと頭を下げた。



         10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23  次へ
 
〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
Back number
第八話 鴻池の猫の巻3
第八話 鴻池の猫の巻2
第八話 鴻池の猫の巻
第七話 鬼の霍乱(かくらん)の巻3
第七話 鬼の霍乱(かくらん)の巻2
第七話 鬼の霍乱(かくらん)の巻