連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「いや、そう言われても私には荷が……」
 重い、と言いかけて雀丸はふと思った。
(待てよ……あそこらへんならあの連中が使えるかも……)
 町奉行所の同心が住む同心町と与力(よりき)が住む与力町のちょうどあいだのあたりは空心町(くうしんちょう)といって、大塩(おおしお)の乱で焼けるまでは川崎東照宮があったところである。「あの連中」というのは、空心町の長屋に住むこどもたちのことなのだ。
「わかりました。ツチコロビの一件、引き受けましょう!」
 雀丸がドン! と胸を叩くと、ヒナが「にゃーう」と鳴いた。
「わあ、ありがとうございます! これで皆、安心して土ノ坂を通れるようになります」
 園は大喜びで帰っていった。残った夢八はじろりと雀丸を見ると、
「若い女子(おなご)が相手やとえらい応えがちがいまんなあ」
「皮肉を言わないでください。もちろん夢八さんの、えーと……毛抜けの源でしたっけ」
「毛羽毛現です」
「そうそう、毛むくじゃらの幽魔もちゃんと調べますので……」
「頼んまっせ、ほんまに……」
 ふたりが帰ったあと、雀丸はしばらくのあいだ無言で竹を削っていたが、やがて、奥に向かって、
「ちょっと出かけて参ります」
 そう言った。

「これがなにかを俺に調べろというのか」
 雀丸がふところから出した懐紙に包んだものを蘭方医の烏瓜諒太郎(からすうりりょうたろう)はしげしげと見た。総髪で、顔は下駄のように四角く、鼻は天狗のように高い。
「この長い毛の束が、夢八の足の指に引っかかっていたというのだな」
「ああ、なんだかわかるか」
 諒太郎はつまみ上げたその毛をふところから出した天眼鏡で凝視したあと、
「草木ではないな。綿や糸などの類でもない。人毛ともちがう。おそらくは獣毛だ」
「獣毛……」
「俺にはそこまでしかわからぬが、大坂にはシーボルト先生の滝川塾で学び、先生がこの国の禽獣(きんじゅう)、魚貝、草木、鉱石などの膨大な標本を集めたときに手助けをした須賀山市之丞(すがやまいちのじょう)という本草学者がいる。あの御仁のところに行って、標本と突き合わせればもう少し詳しいことが判明するかもしれん」
「おまえに頼んでいいか」
「もちろんだ。しばらく時をくれ。持つべきものは友だちだ。そうであろう」
 諒太郎は高笑いすると、雀丸の背中を何度も叩いた。
「では、帰る」
 立ち上がった雀丸に、
「なんだ、せっかく来たのに一杯飲らぬのか」
「こんな陽の高いうちから飲めるか。それに、今、仕事が忙しいのだ」
「どっちの仕事だ。横町奉行か、竹光屋か」
「竹光屋だ」
 そう言って雀丸は、立売堀の長屋を出た。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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