連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻 田中啓文 Hirofumi Tanaka


「皐月親兵衛、もそっと近(ちこ)う寄れ」
 東町奉行所与力八幡弓太郎(やはたゆみたろう)は言った。金糸の縫い取りのある羅紗(ラシャ)の羽織を着、柳色の着物に赤の袴(はかま)という派手な姿に、皐月親兵衛は目がちかちかした。わざと町人風にした刷毛(はけ)の細い小銀杏(こいちょう)の髷(まげ)もどことなく八丁堀(はっちょうぼり)の粋を気取っているかのようだが、ここは大坂なのだ。
「ははっ」
「今日からおまえはわしが配下となった。同心の働きはすなわちわしが働きである。存分に務めてくれい」
「ははっ」
「裏を返せば、おまえが失策を犯せばすなわちそれ、わが身の失策となる。くれぐれも気をつけよ」
「ははっ」
「わしは今まで遠国(おんごく)役与力として西国二十六カ国の金銭出納を扱(あつこ)うてきた。定町廻りのように下世話で殺伐としたお役目ははじめてなのじゃ。正直とまどうておるが……これもわが出世のためじゃ。がしがし手柄を立て、うえに上っていかねばならぬ。でないと、亡くなった父上に申し訳がたたぬ」
「はあ……」
 上役だった南原卯兵衛(なんばらうへえ)がお役目不行き届きとの理由で罷免され、嫡男に跡を譲ったあと、遠国役与力だった八幡弓太郎が定町廻りに転任することとなった。皐月親兵衛は彼の組に入るよう町奉行から命じられた。それはよいのだが、八幡弓太郎はまだ二十歳になったばかりで、皐月とは親子ほど年齢が離れている。大人ぶるためにむりやり酒を飲むこともあるらしいが、すぐに真っ赤になり、わけのわからないことを言い出すという。
「おまえもわしの手足となり力を尽くしてくれるならば、わしもおまえをできうるかぎり引き揚げてつかわそう。なれど、おまえがわが出世の役に立たぬとわかったるそのときは……」
 八幡は刀を抜く真似をして、
「斬る! そう思うて、せいぜい励むことじゃ」
 もともと童顔で背丈も低いのでこどもと間違われることも多いらしい。「なめられたくない」という気持ちが強いので、変に老成した言葉づかいをしたり、芝居がかった真似をしたりする。これといった趣味もないようだ。皐月は、この上役とうまくやっていけるかどうか自信がなかった。
「ところで皐月、昨夜わしは筑前黒田(ちくぜんくろだ)家の下屋敷あたりで屋台のうどん屋に入ったのじゃ」
 藪(やぶ)から棒になにを言い出すのだ、と皐月は思ったがもちろん口にはしない。
「たいそう寒かったので、しっぽくと熱燗(あつかん)を四、五本飲んだと思え」
「は、はあ……」
「しっぽくはカマボコが薄かったので店の主に文句を言うてやった。すると川のほうでなにやらわあわあと騒ぐ声がする。わしは十手を手にして、声の聞こえるほうに行ってみた。土手は足が滑りやすいので気をつけねばならぬ。これは心得ごとじゃ」
「はあ……」



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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