連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka

 河野四郎兵衛(こうのしろべえ)という浪人がいる。もともと東町奉行所の同心だったが、大塩平八郎(おおしおへいはちろう)の乱によって大坂の五分の一が焦土となったとき、七万人が家を失い、大勢のこどもたちが家族を失った。町奉行所や大坂城代はひとびとを救済しようとしたが、あまりにも被害の規模が大きすぎてとうてい間に合わぬ。そこで大坂の商人たちがみずからの蔵を開いて施しを行ったが、それは町人のためのものであった。城勤め、町奉行所勤めの武士の子は公儀による救済がなされた。しかし、町人でもなく、公儀の禄(ろく)を食(は)んでいなかったいわゆる浪人のこどもたちはどこからも助けの手が伸びなかった。
 やむなく河野四郎兵衛はおのれの屋敷にそういう孤児たちを引き取って養育しはじめたのだが、こどもの数はどんどん増えていった。それが上司の与力(よりき)の耳に入り、河野はある日呼び出されて叱責を食らった。町奉行所同心がそのようなふるまいをするとは、公儀の救済が足りていないというあてこすりのようでよろしくない、というわけだ。大塩の乱が起きたばかりなので、河野が浪人の子を養い、なにかを企んでいるのではないか、と疑いをかけられ、大塩の乱に加担していた、という訴人するものもいて、ついに河野は同心株を返上することになった。
 同心の禄は少ないとはいえ、住むところは拝領屋敷があった。それも失い、河野はたちまち困窮した。力仕事や大商人の用心棒などで日銭を稼ぎ、天満の空心町の長屋を借りてこどもたちを養った。こどもは増えに増えた。巣立っていくものよりあらたに入ってくるもののほうが多いのだ。そのうち浪人の子だけでなく、町人のこどもでも引き取るようになった。目のまえで飢えているものを見捨てるわけにはいかない……そういう性質(たち)なのだ。
 五軒長屋からはじまり、隣の三軒長屋を借り、その横の四軒長屋を借りて……という具合で、いつのまにか裏長屋のほぼすべてを河野が借りている状態になり、「やしない先生」というあだ名で呼ばれるようになったころ、家主が立ち退きを求めてきた。困り果てていた河野を見かねた地雷屋蟇五郎(じらいやひきごろう)がそのおんぼろ長屋を買い取ったうえで補修も行い、河野やこどもたちに贈ってくれたのだ。そのときに仲立ちをした雀丸のことを河野は恩義に感じ、長屋の名を「雀のお宿」と名付けたのだ……。
「ふえー、そういうえらい先生もいてはりまんのやなあ。わてなんか、親類の店を立て直したい、てゆう身内の損得しか考えとりまへんでしたわ。情けない」
「そんなことはありませんよ。それも立派な目標(めじるし)です」
 半平は急に立ち止まると、雀丸に向き直り、
「言うとかなあかんことがおまんのや」
「なんです、あらたまって」
「わて……掏摸(ちぼ)でしてん。皐月(さつき)の旦那に捕まりましたのやが、お情けをかけていただき、足を洗(あろ)うて、こないしてまっとうな職に就くことができましんたや。なにもかもあの旦那のおかげです。横町奉行には元が掏摸(ちぼ)やったことは隠しといたほうがええ、でないと頼みごとを引き受けてもらえんやろ、と思とりましたが、今の話を聞いて、しゃべる気になりました。堪忍しとくなはれ」
「謝ることはありませんよ。――それにしても、皐月さまにそんな義俠心(ぎきょうしん)があるとは……」
「あの旦那は情け深いお方だっせ。いや、ほんま」
 そう言われても、ことあるごとに侍風を吹かせる皐月親兵衛(しんべえ)に、町人をいたわる気持ちがあるとは信じられなかった。
(案外、私もあのひとの一面しか見ていなかったのかもしれないな……)
 雀丸はそんなことを思った。



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〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
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