連載
浮世奉行と三悪人
第八話 鴻池の猫の巻2 田中啓文 Hirofumi Tanaka

「玉吉(たまきち)、三毛の頭を撫でてたやつの話を聞きたいそうや」
 丁稚は緊張した顔つきで、
「えーと……朝の六つぐらいでおました。表を掃除したあとお店に入ったら、頬かむりした男のひとがそこの土間にしゃがみこんで、三毛の頭を撫でてましたんや。こんな朝早うに変やなあ、と思たんですけど、お客さんだすか、て声をかけたら、客やない、かわいい猫やなあと思て見てただけや、ゆうてそそくさと出ていきました」
「どんな顔でしたか」
「それがその……頬かむりしてはりましたんで、顔はまるで見てまへんねん」
「目立つところはありませんでしたか。声とか、背がやたらと高いとか、太っている、とか、変わった着物を着ていたとか……」
「えーと……えーと……」
 丁稚は必死で思い出そうとしたが、わかったのは結局、その男が中肉中背、よくある木綿の着物によくある博多帯をしており、声も高くもなく低くもなかった……ということだけだった。
「ほかになんかないんか!」
 苛立(いらだ)った半平が大きな声を出したので、丁稚は何度も頭を下げ、
「すんまへん……すんまへん。けど、わて、ほんまのこと言うてまんねん。もっとよう見てたらよかった」
 丁稚は目に涙をため、
「よ、横町のお奉行さん、わてな、わてな……あの猫と大の仲良しだしたんや。なんとか仇を討っとくなはれ」
「わかっています。――半平さん、この丁稚さんを責めてはいけませんよ」
「それはわかっとりま。玉吉どん、大声出して悪かったな。――雀丸さん、わては掏摸(ちぼ)をやめて今の桶屋の仕事に就くとき、ほかの親類は皆、わてのことをボロカスに言うて縁を切られましたんやが、この嘉右衛門旦那だけは見捨てんといろいろ助けてくれましたんや。せやさかいどないかして嘉右衛門旦那に恩を返したいんでおます。それやのに、なんの手がかりもないやなんて……ああ、神も仏もないもんやろか!」
 半平が天を仰いだとき、
「そ、そや! 仏や!」
 丁稚が叫んだ。今まで泣きべそをかいていたのに、突然目を輝かせて雀丸に向き直り、
「思い出しました! そのひとの背中のうえの方に『仏』ゆう字が彫ってありました。しゃがんではったさかい、見えましたんや」
「それは手がかりになるかもしれません。ありがとうございます、丁稚さん」
 丁稚や主人、半平を元気づけるために雀丸はそうは言ったものの、それだけではその男を見つけ出すのは容易ではない、と内心では思っていた。普段は襟で隠れている部分だから、ぱっと見ただけではわからない。



       8  10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 次へ
 
〈プロフィール〉
田中啓文(たなか・ひろふみ)
1962年大阪府生まれ。神戸大学卒業。
93年「凶の剣士」で第2回ファンタジーロマン大賞佳作入選、ジャズミステリ短編「落下する縁」で「鮎川哲也の本格推理」に入選しデビュー。
2002年『銀河帝国の弘法も筆の誤り』で第33回星雲賞日本短編部門、09年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。
『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズ、『鍋奉行犯科帳』シリーズ等、著書多数。
Back number
第八話 鴻池の猫の巻3
第八話 鴻池の猫の巻2
第八話 鴻池の猫の巻
第七話 鬼の霍乱(かくらん)の巻3
第七話 鬼の霍乱(かくらん)の巻2
第七話 鬼の霍乱(かくらん)の巻